解体された国立競技場 数々の名場面を生んだ「聖地」の57年
その後、日本経済はバブル崩壊によって、長い冬の時代に突入します。そんな2002年、40代半ば働き盛りの国立競技場に、屈辱的な“配置転換”が申し渡されます。「日韓共催FIFAワールドカップ」の試合会場から外されたのです。FIFAが示した「観客席の3分の2以上に屋根がある」という条件を満たしていなかったからでした。しかし財政難の国は助けてくれませんでした。その後、老朽化も指摘されるようになり、芝生の全面改修や電光掲示板のリニューアルなどでは、“肌荒れ”を隠せなくなってきました。
コンサート会場としても活躍
そろそろ潮時なのか。2010年代に入ると、具体的なリストラ案(解体案)が唱えられるようになりました。「現役引退は早すぎる」「改修・増席で乗り切れる」と惜しむ声も出ました。しかし「2020年東京五輪」の時には還暦を超えています。海外の客に老醜を見せるわけにはいかない、といった声に押し消されたのでした。2014年5月、“同世代”で埋まるだろう、ポール・マッカートニーの公演が世界にアピールできる最後の大舞台、のはずでした。しかし、ポールの急病でドタキャン。運にも見放されました。このように大物アーティストや人気アイドルのコンサート会場としても活躍しました。1996年6月には、パバロッティー、ドミンゴ、カレーラスの「3大テノール日本公演」の会場になりました。
“息子”の新国立競技場は8万人を収容できます。しかし生まれる前から、その容姿は「周囲の景観に合わない」「自転車用のヘルメットか?」「水没を待つ亀みたい」と散々です。たとえ息子が無事に産まれても、国が養育費を払い続けられるのか、「粗大ゴミになる」という声まで聞こえてきます。野辺送りされる“父”の心配はつきません。 (フリー編集者・大迫秀樹)