日本人が意外と知らない…「日本サッカー協会のシンボル」に「3本足のカラス=八咫烏」が採用されている「驚くべき理由」
「八咫烏」はなぜ3本足なのか
なお神武天皇の神話にはもうひとつ、八咫烏(やたがらす)という霊鳥が登場する。 上陸した熊野から大和盆地まで、嶮峻(けんしゅん)な紀伊山地を越えるときに神武天皇を道案内したとされる。金鵄とよく混同されるので、ここで簡単に触れておこう。 この八咫烏は、しばしば3本足のカラスで描かれる。記紀に足の数は書かれていないものの、中国の古典で3本足のカラスが太陽のシンボルとしてしばしば言及されるので、それと重ねられたらしい。 もっとも有名な八咫烏のデザインは、日本サッカー協会(JFA)のマークだろう。前身である大日本蹴球協会の時代、1931(昭和6)年に、彫刻家の日名子実三(ひなごじつぞう)(かれはまた宮崎市に立つ八紘一宇の塔の設計者でもある)のデザインで制定された。やはり3本足のカラスがサッカーボールを押さえている。 ただし、足の数はかならずしも一定したわけではなかった。同じく日名子のデザインでつくられた支那事変従軍記章では、八咫烏の足が2本になっている。原案では3本だったが、製造する造幣局の意向により、2本にあらためられた。 支那事変従軍記章は、日中戦争に従軍した軍人を顕彰するものだ。記紀に記されていないのに、中国の古典にもとづいて足を3本にしてよいのか。神武天皇に由来する霊鳥だけに、慎重に検討されたという。 さらに連載記事<「日本の初代天皇」とされる「神武天皇」のお墓がどこにあるか知っていますか>では「戦前の日本」の知られざる真実をわかりやすく解説しています。ぜひご覧ください。
辻田 真佐憲(文筆家・近現代史研究者)