坂口征二vs前田日明 鼓膜破れ、差し歯は飛んでも“不穏試合”ではなかった! 取材記者が全証言
【プロレス蔵出し写真館】坂口征二がマスコミとファンに向け異例の声明文を発表した。 「私はマッチメーカーの立場上、また若手選手の育成等により、今回のリーグ戦には参加しておらず、今まで前田選手との直接対決もありませんでした。しかしながら今般、不測の事態にあたりこの機会に前田選手とのシングルマッチでの対決を決意いたしました。(中略)前田対ブロディ戦を期待されていたファンの皆様には私のファイトをもって必ずや納得していただけるものと自信を持ってここに表明させていただきます(抜粋)」 【写真】前田をコーナーに逆さづりにして蹴飛ばす坂口 今から38年前の1986年(昭和61年)11月19日、新日本プロレスはロサンゼルスからの1本の電話で大混乱に陥った。エージェントの鯨岡チカさんが「ブロディが契約を破棄すると言ってます」。そう伝えてきた。 〝超獣〟ブルーザー・ブロディが一方的に契約破棄を通達してきたという。ブロディがまたやらかした。 新日プロ関係者は「前回(9月)来日したとき、二度と昨年のボイコット事件のようなことを起こさないと、じっくり話し合ったんですが…。今回のことは、それだけに理解に苦しみます」と顔を曇らせた。 ブロディは85年12月12日、仙台で行われる「IWGPタッグリーグ戦」決勝戦当日、パートナーのジミー・スヌーカとともにドタキャン。新日プロを追放となったが翌86年8月に和解が成立して来日を果たした。9月16日の大阪城ホールではアントニオ猪木と60分フルタイムドローの死闘を繰り広げ、今回「ジャパンカップ争奪タッグリーグ戦」で本格的に再登場となるはずだった。 そして、今回の来日では特別試合として〝大巨人〟アンドレ・ザ・ジャイアント戦と〝新格闘王〟の称号で呼ばれた前田日明戦が決まっていた。特に前田戦は〝危険なムード〟が漂う大注目のカードだった。 新日プロは20日の新潟・十日町大会でブロディの来日中止を発表。坂口が声明文を出して前田戦に名乗りを上げたのだった。 前田は「気合が入ってたんだけどガックリきたね。週1万ドル(当時のレートで約160万円)といわれ、日本人選手の倍以上の高いギャラを払った上で〝ゴネ得だ〟なんて思われたら、オレたちはやってられないよ。断固たる措置を取るべきだと思う。はっきり言って外人なんかいらないよ。坂口さんとは日本人のやる気がどんなものかをファンに見せる」とブロディに怒り心頭だった。 翌21日の午前中、ロスの鯨岡さんが「ブロディとの再度の話し合いで『条件次第では来日してもいい』と言い出した」と連絡してきたが、同日の新潟大会の試合前に猪木、坂口、山本小鉄、藤波辰巳(現・辰爾)ら首脳陣が緊急会談を行い「もしブロディがこの条件を1、2日前に言っていたら問題なかったが、すでに契約破棄を発表しているし、考えは変えない」。坂口はそう断言し、改めてブロディの来日中止が正式決定したと発表した。 そして11月24日、札幌で坂口と前田は特別試合で対峙する。 坂口は「一世一代の勝負」と気合が入っていた。前田のアキレス腱固めを、そのまま立ち上がりトーホールドで切り返し、ワキ固めは力で阻止する。コーナーに詰めて張り手を見舞うと前田がエキサイト。坂口をコーナーに放って、すぐさま大車輪キックを叩き込む。倒れた坂口は顔面に強烈な蹴りを浴びた。これで坂口の鼓膜が破れた。 場外にエスケープした坂口は、ものすごい形相で前田をにらみつける。坂口がエプロンに上がると前田はハイキックを連打する(写真)。 場外からすきを見て前田の足を引っ張った坂口は、左足を鉄柱に2度叩きつけた。リングに戻り、前田をボディースラムの体勢からコーナーに逆さづり。ストンピングを連打し、顔を踏みつけた。前田の差し歯が飛んだ。 坂口は制止する柴田勝久レフェリーを突き飛ばし、9分55秒、反則負けが宣言された。「反則で逃げるのか!」。前田が叫んだ。10人ほどの若手が両者を引き離した。 試合後、坂口は「スッキリしたよ。最初に一発いいのをもらってカッときて、あとは何をしたか覚えていない。でも全力を出して戦った。機会があればまたやりたい」と言えば、前田も「いい試合だった。2人ともコンディションがよかったし、最後はちょっと不満だったが、あとはいい試合ができたと思う。ブロディなんか来なくてもよかったんじゃないか」と納得の表情。 取材した吉武保則記者は「アンドレVSブロディのテレホンカードは、幻の対決となっただけに高値がついたと話題になりました。私は使い切って捨ててしまいましたが…。アッ、試合ですか?」と小ボケをかましてから、「(ブロディ欠場の)負のイメージを払拭しようと攻め合ってた。最後は2人とも満足そうな顔をしていた」と語る。 「でも…」と話を続けた吉武記者は、「坂口VS前田のベストマッチは翌年の〝旅館破壊〟(87年1月23日、熊本・水俣市)です。坂口さんが畳に寝転び、前田に『どっからでも取ってみい』と叫んでた。極められるのか、お前に?というホンネでしょう。高田(伸彦=後の延彦)らに止められて動けない前田は、悔しまぎれに蹴るフリだけしてました。顔でも蹴るのかとみんな思ったはずですが、理性ある行動でホントよかった」と明かす。 「(どっからでも蹴ってみい?)私の目の前で起きたことだったので一部始終見てました。(それは)よく言われる間違いなんですよ。正確には取ってみいだった。坂口さんはベロンベロンで横たわっていて、前田も泥酔してたけど、さすがにベロベロの大先輩に蹴りを入れるわけにはいかないと思ったのでは…。高田を振り切ることもできただろうけど、行かなかった。いや、行けなかったというのが本当のところでしょう。行ったら坂口さんに逆に極められるかもしれない。それに、武藤(敬司)をボコボコにしたうえに坂口さんまでボコボコにするわけにもいかなかったでしょうし」 吉武記者は札幌の一戦を差し置いて、そう番外戦を振り返った。とはいえ、坂口VS前田の一戦は〝眠れる荒鷲〟の復活で〝坂口最強説〟も浮上。坂口の株が爆上がりになった好勝負だった(敬称略)。
木明勝義