【伝説の8番】若三杉が初V「優勝の瞬間、マス席のおふくろを見てしまった」千秋楽で魁傑を寄り切る…1977年夏場所
大相撲の過去の記憶に残る出来事、勝負を各場所ごとに振り返る「伝説の8番」の夏場所編がスタート。第1回は1977年、若三杉(後の横綱・2代目若乃花)の初優勝をスポーツ報知の記事でたどります。 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ 1敗で単独トップの若三杉が、初優勝まであと「1」として、14日目に横綱・輪島との大一番に臨んだ。左四つがっぷりとなったが、輪島の引き付けが強く、若三杉は動くことができない。そのまま、輪島のつりに、宙でもがいてもどうしようもなかった。「左の差し手がまるできかなくなり、肩まで痛くなって…。頭をつけられれば、まだ何とかなったかもしれない。精一杯やって負けたのだからしょうがない」。つり出された若三杉は完敗を認めた。 千秋楽は、直近4連敗の大関・魁傑との一番となった。「優勝を意識せず、あしたも思い切りぶつかるだけ」と若三杉。負けると、北の湖―輪島の勝者との優勝決定戦にもつれこむ。「うち(同じ花籠部屋)の横綱(輪島)のために頑張る」と魁傑も意気込み、予断を許さない状況になっていた。 だが、優勝をかけた一番はあっけなく終わった。魁傑は猛然と突っ張ってきた。その突っ張りをうまくかいくぐり、得意の左を差して、一気に出ていった。左まわしを取ったが、最後はまわしを放してかいなを返し、これ以上はないという理想的な攻め。寄り切った。 「優勝が決まった瞬間、東マス席のおふくろの方を見てしまった」。土俵下で、若三杉はしゃくり上げていた。母・イヨさんと姉は、手をしっかり握りあっていた。「3月に亡くなったとっちゃ(若三杉の父・正一さん)も泉下で喜んでくれている」とイヨさんは手にした遺影につぶやいた。 幕下時代は、両足首、ひざを骨折。2年前は、大関を目前にしながら肝炎で平幕に落ちるなど、苦しみを味わってきた。「根性がある。普通のものだったら、幕下時代でとうにこの世界から去っていただろう」。“土俵の鬼”と言われた師匠の二子山親方も声をつまらせた。 スポーツ報知で相撲担当だった大野修一さんは、若三杉について「その後、横綱にもなって、(元大関)貴ノ花、(元横綱)隆の里らとともに、二子山部屋の黄金時代を築いたのは間違いない。性格は、じょっぱり(津軽弁でいじっぱり)で、口数は少なかった」と振り返った。(久浦 真一)=おわり= ◇若三杉 幹士(わかみすぎ・かんじ)本名・下山勝則。1953年4月3日、青森・大鰐町出身。68年7月場所、初土俵。73年11月場所、新入幕。78年5月場所後、横綱昇進とともに、師匠の現役名の若乃花を襲名。83年1月場所で引退。優勝4回。殊勲賞2回、技能賞4回。通算成績は656勝323敗85休。22年7月16日、死去(享年69)。現役時代は186センチ、133キロ。引退後は間垣部屋を興した。
報知新聞社