低収入、生活保護、モラハラDV…「自己責任論」の世論は誰にとって好都合? “生きづらい世の中”の根底にあるもの
「自分で自分を奮い立たす」くらいの精神力はほしいところだが…
それにしても、なんでもかんでも「頑張りが足りない」で片づけてしまうのは滑稽ですらあります。筆者自身は「頑張り」自体を否定しているわけではありません。「頑張る」という言葉は他の言語になかなか訳せないからこそ、日本語ならではの表現に救われる人もいると思います。 ただここはさじ加減が大事かもしれません。自分が大変な状況にいる時に、時間や体力、精神力も含めて冷静に分析しながら「私もっと頑張らなきゃ」と自らにハッパをかけるような、あくまでゆる~い頑張りだといいのですが、実際の自分を超える頑張りとはサヨナラしないと、幸せにはなれません。 長い人生、困難に直面した時に、「自分で自分を奮い立たす」ことは大事ですし、それぐらいの精神力はほしいところですが、問題は、この「自分さえ強くなればなんでも乗り越えられる」という信念を他人に対しても強いてしまうことです。 たとえば子どもが学校でイジメに遭ったと聞けば、解決案を考える前に「自分が立派な人になって、イジメっ子を見返してやれば良いんだ」ということを平気な顔で言う大人の多いこと、多いこと。 夫からのモラルハラスメントに悩む娘に対して、「男は威張りたいもの」「それを理解してあなたが我慢しなさい」と娘を諭したり、娘が夫からのDV被害を親に語っても「それは、あなたが言い返したから叩かれても仕方ない」と、あたかも娘に非があるかのように言ったりする身内に厳しいタイプの親も「我慢教」に毒されていると言えるかもしれません。 この手の話は、幼少期から親に「あなたが我慢すれば良い」と教えられる→萎縮して育ち大人になってからもモラハラ型の男性を引き寄せてしまう→親に相談すると旦那に味方する、という悪循環になることも。思い当たる方は、自分の幸せを、配偶者や親から壊されないように注意が必要です。
自分に無理なハッパをかけていないか
ここで自分自身を振り返り、まずは自分に対して無理なハッパをかけていないか、そして周囲に対しても、「あの人は甘えている」「当人の頑張りが足りない」という思考回路に入ってしまっていないか見直してみると良いでしょう。 やたらと「みんな愚痴ばかりで腹が立つ」などと感じるようだったら、あなた自身も実はかなり「無理」をしているのかも。自分自身に厳しくなり過ぎていないか今一度立ち止まり、まずは自分に優しくなりましょう! 逆に他人に対して何かにつけ「努力が足りない」とか「文句ばかり言うな」という思いが言葉の端々に出ているような人とは、少し距離を置いてみると良いかもしれません。反対に、「まあ大変ね」と状況を理解してくれた上であなたに助言してくれるような人の存在は貴重です。 日本ではよく、「厳しい状況の中で誰々さんにハッパをかけてもらい元気をもらった」というような話が聞かれますが、それが本当にいい話の時もあれば、逆に相手を追い込んでいる場合もあります。 大人になったら、そこは冷静に見極めたいところ。ハッパをかけられた気持ちにその時にはなっても、後々押しつぶされてしまっては元も子もありません。
サンドラ・ヘフェリン