エミー賞『SHOGUN』全世界を魅了した“マリコさま”細川ガラシャの「凄まじさ」どこまで史実? 夫からDVを受けつつも動じない「女傑」
ディズニープラスのオリジナルドラマ『SHOGUN 将軍』が今年、米テレビ界における最高峰の賞であるエミー賞で、史上最多となる18部門受賞を達成。いわゆる「トンチキ日本描写」ではない日本の時代劇を実現させた主演・プロデューサーの真田広之に賞賛が集まっている。さて、本作のキャラクター・戸田鞠子(まりこ)は、主人公・按針(あんじん)と心を通わせる女性として世界の視聴者を魅了しているが、そのモデルは細川ガラシャである。ドラマでの描かれ方と、史料に残っている逸話を比べてみよう。 ■戸田鞠子のモデル・細川ガラシャは三浦按針と恋に落ちたのか? エミー賞で史上最多18部門を受賞した『SHOGUN』。『SHOGUN』には日本で長年「サムライドラマ」こと「時代劇」を作ってきたスタッフたちが参加し、日本人の視点が反映されたという点で「史実」にも配慮された歴史大作だといえると思います。 しかし、『SHOGUN』は史実に忠実な作品を第一に目指した映像ではありません。あくまで歴史エンターテインメント作品であり、それは真田広之さん演じる吉井虎永が、徳川家康をモデルにしていながらも、史実とは微妙に一線を画した存在であることからもわかります。 それでは逆に『SHOGUN』の登場人物に、史実はどの程度反映されているのか、興味をもつ方も多いのではないでしょうか。主人公の英国人航海士のジョン・ブラックソーン(コズモ・ジャービスさん)の通詞にされた戸田鞠子(アンナ・サワイさん)は、細川ガラシャをモデルに造詣された人物だとされています。 ブラックソーンは、その後も日本に帰化して家康に終生仕え、三浦按針という日本名まで名乗ることになったウィリアム・アダムスをモデルにした人物ですが、家康とアダムスの間をガラシャが取り持ったという史実はなく、もちろん、彼女とアダムスとの間に悲恋などもなく、それらは『SHOGUN』を面白く見せるための虚構だといえるでしょう。 ■熱愛カップルだったのに、「本能寺の変」を機に一変 それでは虎永の家臣の一人、文太郎こと戸田広勝によって、妻の鞠子が受けたDVも、彼女を悲劇のヒロインに仕立てるための演出か……というと、そういうわけでもなく、細川ガラシャこと明智玉(玉子)にも夫・細川忠興との間に不仲を匂わせる多くのエピソードがあります。 しかし、同い年の彼らが(数え年)16歳で結婚した直後は、意外にも熱愛カップルだった事実は知られていません。結婚翌年にあたる天正7年(1579年)には長女(於長)、さらにその翌年の天正8年(1580年)には長男(のちの細川忠隆)が相次いで誕生していることからも、二人の仲の良さが感じられる気がします。 夫婦仲が一気に悪化した原因だと考えられるのは、天正10年(1582年)、玉の父・明智光秀が主君・織田信長を「本能寺の変」で討ち取ったものの、羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)には敗れるという事件をおこしてからのことです。 結局、「逆臣の娘」となった玉を離別する選択肢を、細川忠興は愛情ゆえに取ることができず、領内の僻地に妊娠中の玉を隔離することにしました。しかし、これが玉にとっては逆効果で、気性の激しい彼女の中で「夫は私を捨てようとした」という怒りを呼び覚ましたようですね。