【もうすぐなくなる日本の名建築】佐藤武夫〈岡山市民会館〉
敷地は石山台と呼ばれる台地の上で、烏城(うじょう)とも呼ばれる岡山城があったエリアだ。すぐそばを流れる旭川を挟んだ反対側には、日本三名園のひとつである後楽園があり、JR岡山駅から東へ伸びるメインストリートの先にも位置している。このあたりは、岡山市のマスタープランで「丸の内文化地区」として位置付けられたところで、付近には前川國男の設計による〈林原美術館〉(1963年)や〈岡山県庁舎〉(1957年)が建つ。都市のコアとも言うべき文化・行政の中心ゾーンが形成されるなかで、〈岡山市民会館〉はその中心的な役割を担っていた。
隣接する〈山陽放送会館〉も同時期に一体の計画として、佐藤武夫により設計されたもの。〈岡山市民会館〉の附属棟と高さを合わせ、外観デザインも揃えることで、鏡を置いたかのように2棟は向かい合っている。竣工時は奥に〈NHK放送会館〉も建っていたため、ここには3棟の建物に囲まれた、ヨーロッパの旧市街で見られる広場のような都市空間ができ上がっていた。市民が集う都市のオープンスペースをいかに生み出すかは、当時の建築家たちにとって大きなテーマだった。その課題に、佐藤武夫はこのような形でこたえたのである。
〈岡山市民会館〉と同時にその役割を終え、閉館するのが、旭川を挟んで対岸の少し離れた場所に位置する〈岡山市立市民文化ホール〉だ。竣工は1976年。〈岡山市民会館〉がプロの音楽公演に対応した大規模ホールなのに対し、こちらは演劇や市民の発表の場として活用されてきた。内部には802席を収容するホールや、ギャラリー兼リハーサル室を収める。ホワイエやホールの壁には、岡山県を産地とする備前焼が使われ、独特の質感を表している。ホワイエの窓からは、川越しに街の風景を見渡せる。設計を担当したのは、建築モード研究所。かつての〈渋谷公会堂〉などを設計した事務所である。
岡山市が〈岡山市民会館〉と〈岡山市立市民文化ホール〉の建て替えを検討し始めたのは、平成24(2012)年度からだった。両建物の稼働率は60~80%で、公立文化施設の全国平均を大きく上回っていたが、求められる耐震性能を満たしていないこと、バリアフリーに未対応であること、設備や機能が老朽化していることなどを理由として、両建物の役割を集約した新しい文化芸術施設を、市内の別の敷地に建設するという方針を定める(岡山市「新しい文化芸術施設の整備に関する基本構想」平成27年より)。