【もうすぐなくなる日本の名建築】佐藤武夫〈岡山市民会館〉
ホワイエの壁は、コンクリート打ち放しの面をはつることで仕上げている。「はつる」とは、表面をノミで叩いて削り、わざと不均質で凹凸が付いた面にすることを言う。手間がかかるこの仕上げを、広い面積にわたって行っている。その一部は、日本画家の吉岡堅二によるレリーフ作品《牧神》となっている。
続いて大ホールへ。大ホールは1718席を擁する。2階席の割合が大きく、舞台の近くまで迫り出しているのが特徴で、見やすく演じやすいホールとの評判を得ている。かつては観客が少ない催しでは、電動式の暗幕で2階席の空間を塞ぎ、1階席だけで使えるようにする機構も備えていたという。多目的な利用に対応するための工夫である。ホワイエと同じく、壁面はコンクリート打ち放しのはつり仕上げ。これが音響性能の向上にも貢献している。
大ホール入口前の天井照明や、軒先の雨樋など、建物の細かなところにも見所は多い。道に沿って延びる2階テラスの軒下空間は、建物と都市をつなげる緩衝ゾーンとして働いている。 2階テラスの先端部には、国旗掲揚塔が立つが、高さがなんとなく中途半端な印象も。実は当初の案では、大ホールを超える高さの時計塔を建てるつもりだったが、予算の都合がつかずに実現しなかったらしい。設計者の佐藤武夫は、同時代の建築家では珍しく、自分の建築作品に塔を立てることを好み、「塔の佐藤」とも呼ばれていた。
設計者の佐藤武夫は1889年、名古屋市生まれ。早稲田大学で建築を学び、卒業後は同大学で教鞭をとる。恩師である佐藤功一の下で、〈早稲田大学大隈講堂〉の設計にも携わった。1945年、大学在職中に自らの設計事務所を立ち上げ、後に職を辞し自身の活動に専念。以後は公共施設を中心に、全国各地で旺盛な設計活動を行う。
特に文化会館の設計では、第一人者として認められていた。そこには、大学在職時代に音響学を修めた経験が生きている。代表作に、〈旭川市庁舎〉(1958年)、〈防府市公会堂〉(1960年)、〈熊本市民会館〉(1967年)、〈北海道開拓記念館〉(1970年)など。1972年に没するが、佐藤武夫設計事務所は佐藤総合計画と名前を変え、日本を代表する組織設計事務所のひとつとして活動を継続している。