【大学野球】ケガで今春5試合出場に終わった明大・宗山塁 ラストシーズンに懸ける決意
8月3日からは夏恒例の高森キャンプ
明大は8月3日から10日まで、夏恒例の高森キャンプに入る。長野県下伊那郡高森町は、かつて明大を計37年率いた島岡吉郎監督の出生地。「御大(おんたい)」として慕われた名指導者だ。ユニフォームの左袖には、猪ワッペンが縫い付けられている。島岡氏は亥年生まれ。1989年4月に他界して以降は外していたが(その間は校章)、亥年の2019年に30年ぶり復活。主将・森下暢仁(広島)がけん引した同春はリーグ戦を制し、38年ぶりに日本一を遂げた。猪ワッペンは明大にとって縁起が良い、お守りのようなものだ。 【選手データ】宗山塁 プロフィール・寸評 明大は先輩をリスペクトする「文化」が浸透している。高森キャンプ開催の際には毎年、御大の墓前に足を運び、きれいに掃除をして、手を合わせるのが伝統行事だ。2024年の明大の主将・宗山塁(4年・広陵高)にとっても特別な場所である。毎朝、活動拠点である内海・島岡ボールパークの右中間後方にある、島岡御大の胸像前で参拝。そして、宗山が「おお明治♪」と音頭を取って、全部員で校歌を歌うのが日課である。 「御大は明治大学野球部を作られた方だと思っていますし、人として、男としても到底、かなわない存在です。今でもこうして語り継がれているのは、ものすごい功績があるからこそ。自分も日々の姿勢で、チームのために、何かを残していきたい。プレーもそうですけど、日々、良いチームを作っていく。後輩たちが何かを感じ、次の世代にも受け継いでくれたら、自分としても頑張ったと言えます」 宗山は相当な決意で、ラストシーズンへの準備を進めている。今春は開幕2カード、5試合の出場のみ。3カード目以降は「上半身のコンディション不良」により、8試合を欠場した。宗山はベンチ登録25人からは外れず、チームリーダーとしてベンチからメンバーを鼓舞したが、チームは2位に終わっている。 「一番はリーグ優勝できなかったことが悔しかった。ただ、ゲームに出られない中でも、学べることはありました。グラウンドに立っていたら気づけない間(ま)の取り方とか、ゲームの流れには敏感になりました。結果的に早稲田から唯一、勝ち点を落として優勝を逃すことになりましたが、そこまでの差があるとは思っていません。でも、小さいところでの差が出たのは事実です。早稲田には、勝つスタイルがありました。明治も練習を通じて、勝てる形を確立していきたいと思います」 全体を見渡す、主将としての視点もある。 「ここから!! というところでゲームに出場できず、チームに迷惑をかけてしまいました。(三番・遊撃が欠場すれば)戦い方も変わりますので……。でも(遊撃で出場した)光弘(光弘帆高、2年・履正社高)が堂々とプレーしてくれましたし、三番に入った小島(小島大河、3年・東海大相模高)も、もともとクリーンアップを打つ力があり、ベンチからも安心して見ていました。相手から見れば、嫌なバッターに成長している」