「タクシー乗り放題が1円…」2025年は昭和100年!「昭和の始まり」はどんな時代だった?当時を振り返る
■「大学は出たけれど」の時代へ 昭和はやがて、暗黒の時代へと向かってゆく。その予兆は、同じ昭和4年の流行語「大学は出たけれど」にも現れていた。 端的にそれは、第一次世界大戦で漁夫の利を得た日本にとって、束の間の好景気の反動を意味した。大卒男子は就職もできず、不遇な「高等遊民」に甘んじるしかなかったのだ。 昭和の名匠・小津安二郎は早速、松竹で同名の『大学は出たけれど』のタイトルで映画を撮っている。 大卒就職率30%という不況下で、大卒の息子は故郷の母親に就職が決まったと嘘の電報を打ち、安心させようとする。しかし、これが逆効果となった。母親が婚約者を連れて上京してくるのだ。息子の嘘を知った婚約者は、母親に真実を知られまいと、カフェで働き始めるという展開になる。
小津監督は、この主題を昭和11(1936)年になって反復する。『一人息子』がそれで、不況時代に苦学して夜学教師となった息子を頼って上京する母親が、妻帯者となっている息子の厳しい現実を見せつけられるのだ。 こうして昭和は、軍部の台頭、世界恐慌の煽りで、全体主義の時代へと舵を切ってゆくことになる。
高澤 秀次 :文芸評論家