「タクシー乗り放題が1円…」2025年は昭和100年!「昭和の始まり」はどんな時代だった?当時を振り返る
この大ヒットを見て、続いて新潮社が昭和2(1927)年に『世界文学全集』全38巻の予約を募集、1カ月で58万人の予約申し込みを記録した。 にわかに信じられないような数字だが、ブームはなおも続き、『現代大衆文学全集』(平凡社)など200種以上の円本全集が出回り、空前の「円本時代」をもたらした。 各社から次々に発売される円本により、大儲けしたのは出版社ばかりではなかった。本が売れれば売れるほど、著者には印税収入がもたらされる。円本ブームには、にわか成金文士の洋行ブームなどというオマケまでついた。
■少年たちの心をつかんだ「のらくろ」の登場 昭和6(1931)年、大日本雄弁会講談社が発行する月刊誌『少年倶楽部』に登場したのが、田河水泡作の漫画『のらくろ』である。 主人公は真っ黒な宿なし犬の「野良犬黒吉(通称:のらくろ)」。この愛嬌たっぷりのキャラクターが、ブル大佐が率いる猛犬連隊に入隊、二等兵となって大活躍し大人気となった。 『少年倶楽部』に連載されていた『のらくろ』は、単行本(全10巻)が発売されると、瞬く間に150万部のミリオン・セラーとなった。その人気は戦後も衰えることがなく、続編や復刻版も発行された。
同じ時期には、巷(ちまた)の紙芝居漫画に、『黄金バット』(永松武雄・加太こうじ作)という勧善懲悪のスーパー・ヒーローが現れる。戦前の大衆文化史で、「漫画」というジャンルは一服の清涼剤であった。 サブカルチャーに光を当てると、歌の世界では西条八十作詞・中山晋平作曲で知られる『東京行進曲』がヒットしていた。 昭和4(1929)年、『東京行進曲』が佐藤千夜子の歌で大ヒットした。同年に公開された同名映画の主題歌である。問題はその歌詞だ。
「昔恋しい 銀座の柳」で始まる『東京行進曲』の第4連は、「シネマ見ましょか お茶飲みましょか/いっそ小田急で 逃げましょか」となっている。 だが、磯田光一の『思想としての東京』(講談社文芸文庫)によると、ここの歌詞はもともとは、「長い髪して マルクスボーイ/きょうもかかえた 赤い恋」というかなり過激な内容だった。 これは、「大衆」と「プロレタリアート」という二つの影が、サブカル的に重なり合った奇跡的瞬間であった。