「収奪の象徴」の日本建築、アートに活用 歴史忘れない韓国で「建物の価値」認められ
日本統治下、現在のソウルと南部釜山を結ぶ鉄道敷設事業の拠点だった韓国中部の大田で、当時の建造物を飲食店やアート空間として活用する試みが続いている。植民地支配への反感は根強い韓国だが、建築史上の価値を冷静に見つめる視点も定着して久しい。歴史を語り継ぐ場、若者の人気スポットなど、多様な側面が街に溶け込む。(共同通信) ジブリ映画の音楽が流れるカフェで、若い客らがゆったりと午後を過ごしていた。古いれんがを生かした店内の柱が、落ち着いた雰囲気を醸す。かつて日本がアジア支配を強める中で設立した国策会社「東洋拓殖」の大田支店だった建物だ。 1945年の解放後は逓信庁の庁舎などとして使用。洋風建築を取り入れ植民地期の大田を象徴する建物として国の登録文化財にも指定された。2022年に地元企業が改装し、美術展示や音楽公演を行える施設「HEREDIUM」として生まれ変わった。 旧東洋拓殖を「代表的な収奪機関」と紹介する一方で「建築文化遺産」とも強調。手がけた企業の会長、黄仁奎さん(63)は「日韓の長い歴史の中で、不幸な過去は短い。未来を見て活用したいと考えた」と語った。
ソウルでは1990年代、当時の金泳三政権が旧朝鮮総督府の建物を解体した。陰に隠れていた朝鮮時代の王宮、景福宮を中心とする景観を取り戻した裏で、歴史として残すべきだったとの議論も起きた。HEREDIUMを監修した牧園大の李相熹教授(近代建築史)は「建物の価値を認め活用しようという動きは、2000年代から広がった」と話す。 大田では、日本統治下に建てられた旧忠清南道庁も近現代史展示館として活用。故盧武鉉大統領をモデルにした映画「弁護人」などの撮影地としても重宝された。道庁は朝鮮戦争中、臨時の政府庁舎として使われ、畳の座敷が残る知事公舎には故李承晩大統領が身を寄せた歴史も持つ。 鉄道事業に携わった日本人が暮らした「鉄道官舎」も多数残り、一部は飲食店などとして活用されている。再開発のため、使われていない多くが解体される予定だが、状態の良い棟は移設し文化施設として残すという。 鉄道官舎を管理する企業の担当者は「負の歴史だが、日本の建築技術を伝える面もある」と指摘する。その上で「韓日が対等になった今の世代に、負の歴史という認識も希薄です」と説明した。