【密着】ウクライナ避難民「日本を離れる」決断を下した理由とは?中京テレビ記者が密着した2年3ヶ月におよぶ“奮闘の日々”、侵攻に翻弄され続ける家族の思い
それでも、前に進むしかありません。オレーナさんは、母国で培ったスキルを生かしてネイルサロンでネイリストとして活動、夫・ヴァレリさんも家具店で働き始めました。「3人の子どもを養うためにも働く必要があります。言葉もわからないのに雇ってくれて、本当に感謝しています。失望させないように頑張ります」と、ヴァレリさんは感謝を述べました。
子どもたちに変化「学校がおもしろい」
去年4月、オレーナさんに“アーティスト”としてのチャンスが舞い込みました。日本で出会った友人のすすめで、愛知県安城市で個展を開催することができたのです。作品はすべて避難生活の中で描いたもの。
それぞれの作品には、オレーナさんが絵に込めたメッセージが添えられました。花や故郷の景色などが描かれた作品の数々。そこには、ウクライナ侵攻に対するオレーナさんの心境が表現されていました。
「このろうそくの絵が特に好きです」と、来場者が指を指したのは、火がともされたろうそくの絵。「人には消せない心の光がある、というところが素敵だなと思いました」と、来場者はオレーナさんのメッセージを見ながら答えました。
今年2月。日本で暮らし始めて1年8か月が経ち、子どもたちにも変化が。部屋でピアノを弾く三女・エリザベータさん。ピアノは学校の音楽の時間で教えてもらったといいます。日本語が上手くなったことを褒めると、「ありがとう」と嬉しそうに答えてくれました。
初めて日本に来たときについて、「おもしろくなかった」と振り返るエリザベータさん。しかし、「今はおもしろい」と笑顔で学校での日々を話します。
二女・アルビナさんが見せてくれたのは、たくさんの折り鶴。“ある願い”を叶えたくて、1,000羽も折ったといいます。その願いについて、「牛乳アレルギーをなくして欲しい」と明かしました。
「別れは悲しい」日本を離れる理由
今年7月。再びオレーナさんの自宅を訪ねると、部屋には大きなスーツケースが並んでいました。 「まずはヨーロッパで暮らします。夫の収入がもう少しよければ、日本を離れなかったと思います」と話すオレーナさん。続けて、夫・ヴァレリさんが「行くしかありません。子どもたちは成長しているし、大学にも行かせないと」と答えます。 経済面の不安から、日本を離れ、仕事を見つけやすいヨーロッパで、暮らす決断をしたのです。