【密着】ウクライナ避難民「日本を離れる」決断を下した理由とは?中京テレビ記者が密着した2年3ヶ月におよぶ“奮闘の日々”、侵攻に翻弄され続ける家族の思い
「支援金がもうすぐ終わるんです。自分たちだけで暮らしていくのは、難しいです」と決断の理由を明かしたオレーナさん。日本の暮らしで頼りにしていたのは、避難民のための支援金。1年間で300万円ほど受け取っていましたが、期限が3年のため来年で終わってしまうのです。
支援を行う日本財団によると、これまでに約2,000人の避難民が支援を利用。しかし、オレーナさんたちと同じように、避難先を転々とせざるを得ない人もいるといいます。
「今もウクライナで暮らす両親も、ヨーロッパへ連れて行きたい」と話し、「ウクライナに行って両親に会い、一緒に避難するよう説得します。両親が住む町では、毎日嵐のようなことが起きていて、とても危ないから」と、オレーナさんは両親への思いを語りました。
2年半ぶりに戻るウクライナ。長女・オレクサンドラさんは「うれしい」と話し、二女・アルビナさんは「一番辛いのは友達と別れること。でも、今は戻りたい。ウクライナが好きだから」と故郷へ思いを語りました。
新たな国へ避難「日本が心を癒やしてくれた」
先月29日、日本を出る1週間前。名古屋市のウクライナ料理店『ジート』にて、オレーナさんの日本で最後の個展が開かれました。飾られたのは、咲き誇るたくさんのひまわりの絵。
絵に込めた想いについて、オレーナさんは「ウクライナの明るくて、綺麗な部分を残していきたいと思って描きました。日本に来たばかりの時は、私は精神的に辛く苦しかった。でも、日本が私の心を癒やしてくれました」と話しました。 初めて、下を向くことなく描かれたひまわり。名古屋での避難生活が終わり、この先始まるのは、新たな国での避難生活です。
今月5日、出国の日に立ち寄った東京。最後に日本の景色を目に焼き付けます。「東京は高いビルが多くておもしろい!」と楽しそうに話す、三女・エリザベータさん。オレーナさんは「どうしてもっといろんな所に行かなかったんだろう。富士山にも行けていない」と日本での生活を振り返り、夫・ヴァレリさんは「また、旅行者として戻ってきたいです」と話しました。