【密着】ウクライナ避難民「日本を離れる」決断を下した理由とは?中京テレビ記者が密着した2年3ヶ月におよぶ“奮闘の日々”、侵攻に翻弄され続ける家族の思い
「別れは悲しいけど、次に動かなければいけません」 今年7月、名古屋市で避難生活を送る、ウクライナ人家族が“日本を離れる”ことを決断しました。戦闘が長期化するなか、なぜ家族はそのような決断を下したのでしょうか。2年3ヶ月におよぶ密着取材、侵攻に翻弄され続ける家族の姿を追いました。
2年前にウクライナから避難、名古屋市で生活
ウクライナから避難してきたオレーナ・デルカッチさん。2年前、家族と共に愛知県で暮らし始めました。 中京テレビ「キャッチ!」とオレーナさん家族が出会ったのは、2年前の6月。オレーナさんは、日本人の支援を受けて、夫・ヴァレリさんと3人の娘と日本に避難してきました。
暮らしていたのは、ウクライナ第二の都市・ハルキウ。そこにはいつも子どもたちの笑顔がありました。しかし、ロシアによる侵攻によって、街は崩壊。美しかった街は、炎と煙に包まれました。
突如奪われた、当たり前の日常。変わりゆく街の様子に、「ハルキウが壊されていくのを見るのがとてもつらい。それがいつ終わるのかわかりません」とオレーナさんは悲しい表情を浮かべました。
うつむいた“ひまわりの絵”、心に募る不安
日本に避難しても、ウクライナへの思いを忘れたことはありません。去年4月、オレーナさんは、ウクライナの象徴・ひまわりを描いていました。「ひまわりを描くのが好きなんです。故郷を思い出させてくれるから」と筆をすすめる彼女。油絵を描くアーティストとして活動していたオレーナさんは、ひまわりを描くことで故郷に思いを馳せます。
しかし、完成した絵に描かれた“ひまわり”は、こうべをたれ、濁った空の下でうつむいたまま。「今日は別の形のひまわりを描きたかったんだけど、なぜかできませんでした。このひまわりと同じように私たち、ウクライナ人も揺れているんです」と、オレーナさんはうつむきながら心境を明かしました。
避難してまもなく、学校に通い始めた子どもたちも不安でいっぱい。小学校の教室で、国語の授業を受ける三女・エリザベータさん。授業中、その手は止まったまま。言葉の壁に阻まれ、友達の輪に入ることができません。