財閥解体で生まれた「日東倉庫建物」の現在の社名は?
会社四季報オンライン編集部がお届けするトリビアクイズ。あなたのカイシャに関する雑学力アップにお役立てください。 会社四季報アーカイブ では、1936年の創刊第1号から、すべての会社四季報をチェックすることができます。 今回は、そんなアーカイブから、会社四季報ならではの複雑な問題を出題します。1951年から1952年に掛けて数回だけ登場する「日東倉庫建物」という会社があります。この会社の現在の社名は何でしょうか? 難題なので、ヒントを出します。1951年新春号に初登場した際の四季報本文には「旧三井物産の残存不動産を活用」とあります。 ■正解 三井物産 正解は、三井物産(8031)です。この社名変更には複雑な物語があります。 1952年にGHQの解散指令が解除され、財閥の商号・商号使用禁止令が廃止に。それまでGHQによって使用が禁止されていた「三井物産」の社名を名乗ることが可能となりました。 その際に、トラブルが生じます。 三井広報委員会のホームページ には次のように説明されています。 昭和27年、山西事件で引責辞任した元旧三井物産会長・向井忠晴の取りまとめの下、旧三井物産系14社の社長が集まり、大合同への道筋を話し合った。その結果、「三井物産」の商号は大合同実現の暁まで14社のうち、日東倉庫建物に一時的に預けることで合意した。ところがその直後、日東倉庫建物は突如、「三井物産」に商号を変更、翌年、有力4社のうちの1つ、室町物産と合併してしまったのである。室町物産の狙いは「三井物産」の商号だった。約束を反故にされた関係者が激怒したのは言うまでもない。この当時、会社四季報では、三井物産の本文に「旧物産系商社は当社を中心に合同すると言われるが、種々の事情でまだ当分実現が見まい」、第一物産の本文に「最近、鳴りを潜めて静観しているようだ」と書かれています。 この混乱から5年弱が経過した1959年になって、三井物産と第一物産が1対1の対等合併を実現しました。ここが現在の三井物産の起点となっています。 いかがでしたか? 次回のクイズもお楽しみに! ※当記事は、証券投資一般に関する情報の提供を目的としたものであり、投資勧誘を目的としたものではありません。
会社四季報オンライン編集部