怪人・岩松了が紡ぐ繊細で美しいラビリンス 「峠の我が家」
TOKYO FMのラジオマン・延江浩さんが音楽や映画、演劇とともに社会を語る連載「RADIO PAPA」。今回は演劇「峠の我が家」について。 * * * 「岩松了」という人物が怪人であることは間違いない。 会話はもちろん挨拶もしたことはないが、何年かに一度見かけ、いつもその存在感に圧倒される。 何年も前、笄町にある隠れ家のような和食屋で誰もが知っている有名女優二人と食事をしていて、周りはその光景に緊張しながらも会話に耳をダンボにしている中で平然と食事を楽しんでいた。 紀伊國屋サザンシアターで、確か長塚圭史演出の「十一ぴきのネコ」だったと思うが、辺りを睥睨するかのように現れ、僕の隣にドンと座ったのも岩松了だった。 岸田國士戯曲賞、紀伊國屋演劇賞(個人賞)、読売文学賞など名だたる賞を受賞した劇作家であり演出家であり、俳優であり、映画監督である。 そんな岩松作・演出の芝居「峠の我が家」を見た(下北沢・本多劇場)。 峠にある一軒の旅館には主人・佐伯稔(岩松了)と息子・正継(柄本時生)とその妻・斗紀(二階堂ふみ)が住んでいる。そこに若者・修二(仲野太賀)と彼の兄嫁(池津祥子)が訪ねてくる。彼らは兄の戦友の家に軍服を届けに行くという……。 「軍服」という響きを不穏に感じた。軍服は旧日本軍のものなのか。 そういえば来年は敗戦80年である。 起承転結のある明確な物語ではない。 ストーリーは水面下で進行している。 ただ登場人物が「軍服」にこだわっているように、過去にあった戦争への恐怖がそこかしこにあるのはわかる。 次第に斗紀と若者・修二が惹かれあっているのが、うすうすわかってくる。それは許されることのない恋なのだろうか。 そんなことを考え始め、僕は次第に「岩松了」という人物の脳内を探るようになっていった。
パンフレットにキャストたちのこんな言葉が掲載されていた。 「全体的には戦争の影を感じるというか、罪を犯した者や失った者の許しを求めて惹かれ合うようなイメージ」(仲野) 「どこに辿り着くかわからない船に乗っているような感覚」(二階堂) 「観ている間に感じさせる『何か』、曖昧で言葉にできない『何か』が、岩松さんのホンの持ち味というか、魅力なのかな」(新名基浩) 「(岩松脚本の)登場人物は必ず何か背負っていて。実像か否かの境界も曖昧だったり、さらに命や時代感も含めて描くので、本当に恐ろしい台本」(豊原功補) 「壮大な神話の一編、そんな印象を持ちました 始めがあって終わりがあるのではなく、ぐるぐると回り続ける時の流れの中にいる人達…そんなイメージも」(池津) ……雨を吸った落ち葉は音もたてずに人を抱きしめる。 ……亀は人の運命を背負っている。だから歩くのが遅い。 なんとも繊細で美しい光景が演者の口から紡ぎ出されるが、それは岩松の夢の世界の風景なのかもしれない。 不条理な異界と現実を繋いでいたのは柄本時生演じる主人の息子正継だった。 気遣いがあり、まっとうで、まず人のことを思う正継を足がかりに僕は筋を追いながら岩松のラビリンスの舞台を堪能した。 (文・延江 浩) ※AERAオンライン限定記事
延江浩