御礼は香川のうどん1袋だって?ドライな性格の国民民主党・玉木雄一郎が「総理になるための条件」
前編記事『不倫報道でいきなりピンチに!「総理になりたい男」玉木雄一郎とは何者か』より続く。 【図解】野党の合従連衡の果てに誕生!国民民主党の歴史
「勝ちっ放しの人生」
玉木氏は一時、自民党から立候補を打診された。しかし、当時の安倍晋三幹事長が提案した選挙区に、地元・香川は入っていなかった。あくまでも地元にこだわった玉木氏は、'05年の「郵政選挙」で民主党から出馬した。36歳だった。前出の同級生がこう述懐する。 「中学卒業から20年近く経ったある日、急に玉木くんから連絡があったんです。たしか'05年の8月くらいやったかな。 数日後に会ったら、『東京に行って大蔵省で働いて、色々見てきた。このままだと日本はやっぱり壊れてしまう』というような話をされて、『だから僕が(日本を)良くする』って。男がここまで本気で夢を語ってやりたいことがあると言うのであれば、応援するしかないでしょう。まずは同級生に声をかけて、手探りで選挙応援を始めたんです」 しかし、小泉純一郎総理による郵政選挙は自民党有利で、玉木氏は7万票を獲得したものの、比例復活もできなかった。 「彼は負けたその日に、『今日から歩きます。引き続きお願いします』と言い切った。私もそのときに本気でこいつを応援しようとスイッチが入りました。落選期間があったことで、今の玉木雄一郎を応援してくれる地盤を築く礎となった。多くの人と実際に会えた4年間でしたから」(同前) この頃、玉木氏と出会ったのが、介護靴大手・徳武産業会長で、前後援会長の十河(そごう)孝男氏だ。十河氏がこう話す。 「私はもともと自民党支持だったけど、彼と会って、志の高さと能力、見識、人間性も含めてすごいなと思いました。出会ったのは彼が37歳くらいでしたが、それからずっと応援しています。 彼は最初の選挙で負けた。私は、それはとてもよかったと思うんです。なぜなら玉木さんは、それまでずっと勝ちっ放しの人生だったのね。高松高校から東大に行って、大蔵省に入って、ハーバード大学に留学して、という。その経歴は本当にすごいと思うけど、(落選して)選挙区を歩いて、色々な話を聞いて回って、地元のことを真剣に考えるようになった」