御礼は香川のうどん1袋だって?ドライな性格の国民民主党・玉木雄一郎が「総理になるための条件」
「大平政治の後継者」
'09年の総選挙に玉木氏は再び挑戦し、当選する。その支えとなったのが、大平正芳元総理の孫娘、渡辺満子氏だった。 渡辺氏の母は大平の娘の芳子さんで、父は大平の娘婿として地盤をついだ森田一氏。自民党宏池会の領袖だった大平の直系家族が玉木氏の支援に回ったのだ。 渡辺氏が明かす。 「玉木雄一郎とは、私の両親が先に会っています。父と親戚関係にある(現総務相の)村上誠一郎さんに『玉木くんに会ってほしい』と言われたのが最初です。玉木は村上さんが行政改革担当相時代に秘書専門官を務めていたんです。 でも『だって民主党でしょう。会ったらなんだか面倒くさいわね』と母は躊躇していた。しかし、母が香川でたまたま会ってしまって、『良い子じゃない』と気に入り、そこから応援することになりました。ただ、両親が動くわけにはいかないので、私が選挙を手伝うようになったのです。それまで私は日本テレビに勤めていたのですが、退職して'09年の選挙を支援するようになりました。ちなみに玉木は血の繋がりはありませんが、大平家の遠い親戚にあたります」 香川県は自民党が強い「保守王国」だ。保守票を取らなければ当選は難しい。渡辺氏が続ける。 「だから、私が大平正芳の話をして、保守の香りを振りまく役回りを担いました。最初は(自民党支持者に)泣かれるわ、怒鳴られるわ、で大騒ぎになりましたね。 ただ、大平家は父の後、後継候補を出していなかったので、玉木には実質的な大平政治の後継者を委ねています。玉木の人に対する優しさ、謙虚さ、寛容さは、祖父・大平と重なる部分があります」
代表選落選後に……
所属した民主党は'12年の総選挙に惨敗して、政権を失う。玉木氏はかろうじて小選挙区での議席を守った。しかし、そこから野党の合従連衡の荒波に揉まれていく。 民主党は'16年に維新の党と合流する形で、民進党に改称する。玉木氏は同年行われた民進党の代表選挙に出馬した。当時、玉木氏を支援した現立憲民主党議員が言う。 「結果は蓮舫さんが勝って代表になりました。当時の玉木さんは若手でしたし、代表選でも勝てるとは思わなかったけど、若手・中堅をまとめてグループを作り、世代交代を実現していくまとまりを作ってほしかったんです。ところが、玉木さんは代表選後、推薦人になってくれた人に対して、香川のうどんを一袋持ってきただけ。代表選で支援した議員をまとめてグループを作るような動きも見せませんでした。 人当たりは良くても、結構ドライな人だなと思いましたね。自分が目立てればそれでいいのかなと残念に感じました」 '17年に小池百合子都知事が創設した希望の党との合流が持ち上がり、玉木氏は同党に移る。小池知事の後任として代表も務めた。'18年には再び民進党と合流する形で、(旧)国民民主党を結党し、共同代表に就任した。 「玉木さんは色々な党に行って苦労しました。それこそ小池さんのところへ行ったこともあったし、(現在は日本維新の会の)前原(誠司)さんと行動を共にしたこともある。いろんな悲哀を感じた40代であったかなと思いますけど、それも政治家としての肥やしになっているでしょう。 我々支援者は、民主党であろうと、民進党、希望の党であろうと、『玉木党』なので、揺らぐことなく応援しています」(前出・十河氏)