日本と韓国の「未来志向な関係」とは何だろうか 将来像の共有へ模索続く 考えの違いから理解を深められるか
日韓関係を語る上で、重要なキーワードとなっているのが「未来志向」だ。両国の首脳が1998年に署名した「日韓共同宣言」では、21世紀に向けた新たな2国間関係が示され、未来志向の両国関係がうたわれた。 「未来志向」念頭に行動を 韓国外務省、関係改善評価
宣言から25年。日韓は交流を深化させる一方で、歴史問題では対立を繰り返してきた。しかし、2023年5月に韓国で尹錫悦政権が発足し、一時は「戦後最悪」とも言われた日韓関係は改善に向かっている。 ただ、歴史問題の火種が消えたわけではない。日本が韓国を植民地支配したという過去を持つ両国にとって「未来志向」の関係とは何なのだろうか。(敬称略、共同通信=佐藤大介) ▽5年間で交渉250回 有明海を望む小高い丘にある、福岡県大牟田市の甘木公園。その一角には、戦時中に朝鮮半島から同市の三井三池炭鉱などに徴用され、過酷な労働と劣悪な環境の中で命を落とした人を悼む慰霊碑が立つ。高さ約4・3メートルの御影石には「徴用犠牲者慰霊碑」との文字が彫られている。 碑は1995年に建立され、費用を三井系の企業3社が拠出し、約50平方メートルの用地は大牟田市が無償で貸与した。市民団体「在日コリア大牟田」の代表で、碑の建立に尽力した禹判根(85)は碑の意義をこう話す。「行政と企業、市民が一体となって歴史に向き合う姿勢を示している」
韓国南部・巨済で生まれた禹は、4歳で日本に渡り、20歳から大牟田市に住む。徴用で日本に来た男性が、炭鉱で亡くなった友を思って涙する姿に胸を打たれ、元徴用工の資料収集を始めた。遺骨の多くが祖国に戻っていないことを知り、慰霊碑の建立を思い立った。 企業との交渉は、5年間で250回。 「最初は名刺を渡してもゴミ箱に捨てられた。それでも、金銭的な補償ではなく、慰霊をしたいと一貫して訴え続けた」 禹の思いは企業の担当者を動かし、最後には味方となって本社と折衝してくれたという。 碑の前では慰霊祭が毎年行われ、市や企業の関係者も参加する。一方で、2015年には碑に塗料が塗られ「うそ!!」と読める文字を吹き付けられる事件もあった。 碑を見つめながら、禹はこう話した。「国や個人の間では、考えの違いから、いろいろな山が必ず来る。努力と信頼で乗り越え、未来をつくっていくしかない」 ▽偏見をなくすために