食堂経営からスキー場経営へ スノーリゾート界の風雲児 ー株式会社マックアース
■家業を継ぐことは当たり前だと思っていた 大学を卒業し、兵庫県の実家に帰った一ノ本青年に、父は自身が経営する宿の帳面を預けた。「帳面をもらうということは、会社がどうなっているかが、わかるということ」。父は息子に継がせたかったし、息子もまた、そこに自らの夢を描いていた。 幼い頃から両親の働く姿を見て育った。父は1961年、兵庫県のハチ高原に食堂を開いた。まだスキー場もリフトもない時代、山スキーの客を相手に始めたのだ。「ある意味、山を開いたような男でした。ホント先駆者。先見の明があったんですね」。そんな父に憧れた。その後、父はハチ高原で初めての宿泊施設「ハチ高原ヒュッテ」を開業し、その後、増改築を繰り返して大きくしていった。 入社した一ノ本氏は宿の経営から営業、全てを勉強し、自身の思いを投影させていった。「完全な代表取締役になったのは28の時でした。親父に『もう辞め!』と言って、退職金を払って辞めさせました(笑)。親父もよく思い切って任せたなと思いますね。『なんちゅう親父や』と思っていましたけど。今から思えば、うまいこと仕込みよったなと思いますね(笑)」。ここまでは父の思惑通りだったようだ。 「経営のノウハウなんて何も持っていなかったけど、小さい頃からずっと両親が仕事しているのを見ていて、自分なりに感じていたこともいっぱいあったので。ちゃんと営業して、お客様に頭下げて、そうして来て頂いたら、いっぱい満足して帰ってもらう。そこは、しっかりとおもてなしする。おもてなしっていうのはその場の言葉の対応だけじゃなくて、来てもらいやすくするとか、来てもらった時にどういうものを用意してとか、そんなことだと思うんですけど。普通のことを普通にやっただけ」。こともなげに話すが、実は他の宿泊施設とは一線を画す、一ノ本氏ならではの経営戦略があった。 ■「客単価」と「坪売り上げ」 「ウチの場合は、学校さんなどの団体が多かったんですよ。そこは特殊でしたね」。宿泊や食事が目的ではなく、スキー実習や野外体験など教育活動のために泊まる宿。「親父の代は(学校による客が)70%くらいでしたけど、ボクはそれを93%まで引き上げました」。