エンジンメカニックがときめいた米づくり。御殿場で目指す“100%”と次世代への継承【新連載:二足のわらじでGo(1)】
巷では、サラリーマンの副業解禁だの、Wワークだの、スポットワークだのと、いろいろなところで働き方改革が起こっている現在の日本。モータースポーツ業界も例外ではなく、働き方改革の波は押し寄せている。それも、普段はモータースポーツとまったく違う業界のお仕事をしている人たちがチラホラと現れた。 【写真】報道陣に公開された、ホンダエンジン搭載、通称“白寅号”のエンジンルーム ということで、この新連載では、業界でも“異色”(?)な働き方をしている面白い人物を紹介していきたい。その第1回に登場願うのは、安木雄太さん。エンジンメカニックから2024年、本格的に米農家として歩み始めた人物だ。もちろん、Wワークでエンジンメカニックも続行し、スーパーフォーミュラの現場でも活躍中だ。 ■“飛び込み”で御殿場へ 神戸生まれの安木さんは高校時代、友人とモンキーのエンジンをバラして組み直すという経験をしたことから、エンジンに興味を持ち始める。その時点ではとくに将来の夢はなく、普通に大学に行こうとしていた。 だが、ちょっとした手違いから希望していた大学への進学が叶わず。それをきっかけに友人が通うと言っていたトヨタ系の整備の専門学校に入学。専門学校なので、普通は2年間通学して2級整備士免許を取得するのだが、在学中にシステムが変わり、4年通うと1級整備士免許を取れるようになった。 そこで4年間、学校に通った安木さんだったが、整備士になりたいとは思わなかったそう(1級取ったが結局免許は使わずじまい)。やっぱり面白そうなのは、エンジンだと思ったのだ。その究極はレーシングカーのエンジン。そんなわけで、知り合いもツテもなく、4年生の夏休みに富士スピードウェイまでやってきた。そして、旧メインゲートそばにあった近藤レーシングガレージにふらりと立ち寄る。もちろん飛び込み。そこで当時大御神レース村の村長さんだった近藤進治さんから、「レーシングエンジンをやりたいなら、東名エンジンがいい」と地図を描いてもらった。 しかし、ようやく辿り着いた東名エンジンは、この日休み。誰もいなかった。そこで一旦神戸に帰ると、安木さんは再びレーシングエンジンチューナーのことを調べる。すると、やはり東名エンジンか尾川自動車がいいということになり、再び御殿場へ。今度は今井修社長との面接にこぎつけた。だが、「誰か欠員が出ないと雇えない」と。そこで、一旦は実家近くのクルマ屋で働き始めるが、10カ月後には欠員が出て、2007年の1月、東名エンジンに入社した。 そして、最初の2年間はフォーミュラ・ニッポンのエンジンを担当。ちなみに、初年度は井出有治&金石年弘擁するARTA、2年目は松浦孝亮&土屋武士擁するDOCOMO TEAM DANDELION RACINGを担当していたという。そして、3年目からはスーパーGTへ。今井社長とともに、カルソニックIMPULの担当となった。 ■感動したお裾分け。スーパーで売っている米とは別物 こうして順調にキャリアを積んでいく中、プライベートでは結婚し、2015年には子どもも生まれる。これを機に、安木さんは東名エンジンから徒歩約10分という場所に土地を探して、家も建てた。窓から見える田んぼと富士山の景色は最高! 引っ越した秋には、近所の人から新米のお裾分けもいただき、その米の美味しさに感動したという。スーパーで売っている米とは別物だった。 だが、新米を持ってきてくれたご近所さんの子どもたちは、口をそろえて「田んぼをやる気はない」と言う。「何で? こんなに美味しいのに。この綺麗な景色もなくなっちゃうの? じゃあ僕が代わりにコメを作れるようになりたい!」。安木さんがそう考えるようになったのは、2017年ごろ。 2018年には、「出勤日数を3分の2ぐらいにして、給料も3分の2ぐらいにしてもらえませんか?」と今井社長に相談を持ちかけた。エンジンチューナーが忙しいのは、農閑期の冬。そこはしっかり勤めて、農繁期に入ったら田んぼに携わりたかった。 だが、他の従業員との兼ね合いもあり、この話は受け入れられなかった。そこで農業に本格的に取り組むため、2019年に退社。本当は2018年いっぱいで辞めるつもりだったのだが、退社が1年遅れたのは、酔っ払った柏木良仁エンジニア(現ルーキーレーシング)に「あと1年やってくれよ~」と泣きつかれたからだ。ちなみに、柏木エンジニアはこのことを記憶していなかったらしい……。 さて、東名エンジンを辞した安木さん。当然、農業に関してはズブの素人だった。しかし、機械は触れるということで、『御殿場・農機具屋』と検索。出てきた農機具屋さんに勤め始める。その農機具屋さんのブログを見ると、自分たちで作物も作っており、農作業を学ぶことができたためだ。 しかも、飛び込みで行ってみたら、オーナーは大のクルマ好き。大事に持っているR32 GT-Rには、それこそ近藤進治さんが組んだエンジンが乗っていた。安木さんはそこに奇妙な縁も感じ、その店に長く勤めつつ、最終的には自分の家の周りの田んぼまで手を広げて行きたいと思っていた。が、次第に農機具の整備に対して、物足りなさを感じ始める。 レーシングエンジンの場合には、「自分がこれが一番いい」と思う物を組み込んで性能を上げていく。100点を目指すのが当たり前だ。だが、農機具の場合には、100点を目指すのではなく、合格点にさえ行けばいい。極めるのではなく、早く安く仕事を終わった方が正解。それに対して、農業は100%、自分がこうしたいと思ったことをやれる。結果、独立を決意。自分でやれば、「これ以上のものはない」と思うことを続けられるからだ。 ■ポン菓子機で全国を回る企画も この極めていく感じ、やっぱりそもそもがレース屋だから、だろうか。一番美味しい米を作るために、できる限り手をかけたいということで、安木さんは2022年の12月で農機具屋を退社し、本格的に農家として歩み始めた。もちろん、最初からすべて自分でできるわけではないので、近所や知り合いの農家さん、農協の方々などからもいろいろと教えてもらい、米を中心に「これが売上としてはいいよ」と言われた野菜なども栽培を開始。しかし、やはりトキめくものとそうでないものがある。現在では、そこから「やりたい」と思うものを絞り込み、こだわっているのはやはり米。そして、サツマイモだ。 安木さんが理想とする米を育てるためには、まだまだやりたいことがたくさんある。2024年の場合は、他の農家さんが除草剤を使うところ、安木さんは除草機を使って田んぼの中を歩き、水の中に草を沈めるという作業をコツコツと続けた。また、機械乾燥だけでなく、一部は最近珍しい天日干しの米も作ってみたという(ちなみに、筆者もお裾分けしてもらったのだが、天日干しの米はやっぱ美味でした!)。 また、2024年は3反(900坪)の田んぼで米を作ったが、来年はそれを2町歩(6000坪)にまで拡大予定だ。「僕が農業で稼げるようになって、近所の方の子どもたちはじめ、下の世代が『農業をやりたい』と思うようになってくれるのが目標です」という安木さん。 御殿場の米を日本全国に知ってもらうために、この年末にはクラウドファンディングも開始し、ポン菓子機を使って全国を回るといった企画を立ち上げた。また、銀座にある『有涯』という和食店(オーナーシェフの藤井亮悟氏は25歳。最年少でのミシュランの星獲得を目指している気鋭の料理人)とともに一部の米を生産。そちらの店でも安木さんが管理する田んぼで育った米を食べられる(ただしコースのみで、ひとり3万円ほどの高級店)。将来的には、企業などとも米作りのコラボをしたりもしたいそうで、夢は広がる一方だ。なお、スーパーフォーミュラドライバーの皆さんは、来年の富士大会をお楽しみに。表彰台に上がったら、安木さんの米が副賞として送られる計画が進んでいるという。 と、現在では農業に邁進している安木さんだが、レース界も人手不足。そのため、2023年はM-TECの依頼を受けてスーパーGTで8号車のメカニック仕事をお手伝い。2024年はスーパーフォーミュラでエンジンの面倒を見る仕事を受けた。とくに、エンジンを触れる人はもともと人材が少ない。きっと2025年も、田植えと稲刈りの時期以外は、サーキットでエンジンの面倒を見ているはずだ。 そんな安木さん、このオフシーズンに何をしているかというと、『タイヤがむき出しでシングルシーターの耕運機』のメンテナンスとか、干し芋づくりとか(これがまた美味い)。やることは次々に出てくるのだそうだ。頑張れ~。 [オートスポーツweb 2024年12月30日]