「監督候補をメジャーに留学させろ」自費留学した広岡達朗がパドレスへ派遣された中嶋聡の経験から考えた“将来の監督”への提言
巨人のOBでセ・パ両リーグ日本一を成し遂げた名監督の一人、広岡達朗さん。 4年ぶりにリーグ優勝をした“新生巨人”を辛口総括した著書『阿部巨人は本当に強いのか 日本球界への遺言』(朝日新聞出版)では、日本球界の未来を語り尽くしている。 【画像】阿部巨人の1年目を検証した、広岡達朗著の『阿部巨人は本当に強いのか』 その中で広岡さんは、引退後に自費留学した経験から、将来の監督候補が海外で経験を積むことの大切さを訴えている。一部抜粋・再編集して紹介する。
監督候補をメジャーに留学させろ
17年間で9度リーグ優勝した原巨人が終わったとき、巨人は原のもとでヘッド兼バッテリーコーチを務めた阿部慎之助を後任に指名した。強打の捕手出身で、明るい人柄はファンにも人気があって、巨人再建には悪くない人事だ。 このときの私の最大の関心は、阿部がどんなコーチ陣を編成するかだった。それこそが、巨人再建を占う最大の課題でありキーワードだったからだが、その前に、監督は誰がどうやって選ぶのか、その現状と課題を考えてみよう。 まずアメリカのように、層が厚く充実したマイナーリーグがない日本では、コミッショナーが独自に指導者を育成する教育制度を作るべきだが、それもない。また、そういう意欲的で熱心なコミッショナーをオーナー会議は歓迎しない。ではどうするか。 私は巨人を引退した翌年の1967(昭和42)年1月に渡米して、大映(現・ロッテ)のハワイキャンプに続いて2月にはフロリダ州ベロビーチに渡り、ドジャースのキャンプ地ドジャー・タウンで始まった巨人の米国キャンプを視察した。 ここで当時の川上巨人にいじめられた仕打ちは生涯忘れられないが、それはさておき引退後の海外勉強に話を戻そう。
野球以外のことも見聞きできる
私は巨人がベロビーチ・キャンプを終えて帰国した後、ドジャースの厚意で各地の大リーグキャンプを見学した。その後、大リーグ野球の人材源でもある中南米まで足をのばして、貧しいなかで青少年たちがどんな野球生活を送っているかをつぶさに見た。 そればかりでなく、帰途はヨーロッパを回ったことで、野球以外のさまざまな国と社会と国民の生活を見ることができた。 これらの自費留学は、その後、広島~ヤクルト~西武のコーチ・監督として選手を指導するうえで大変役に立った。 2021年から2023年まで、パ・リーグを独走して3連覇を達成した中嶋聡監督の経歴を見ても、指導者としての経験と実績が結実したことがうかがわれる。 彼は巨人の原監督のような花道を歩いた指導者ではなかった。 秋田県の鷹巣農林高校から阪急ブレーブスに入団し、阪急・オリックス~西武~横浜~日本ハムの4球団で捕手を務め、1550試合に出場した。打率.232、55本塁打、349打点の記録を残したが、引退後は日本ハムやオリックスでコーチや二軍監督として指導者の道を歩いた。