歌手・増田惠子とピンク・レディーのケイは〝どちら〟も自分 最愛の夫が8月に死去、横浜のライブでは不思議な出来事が
ピンと背筋を伸ばして受け答えする姿はステージ同様に美しい。とても体幹がいいのでは?
「30代後半ぐらいから、森下洋子先生の松山バレエ団に通っています。親友で女優の芦川よしみちゃんと時代劇の撮影をしたとき山を登ったり下りたりするシーンで、彼女はスタスタいくんですが、私は…。『体力がなくなったんじゃないの。それじゃダメよ』と背中を押してもらったのがきっかけです」
クラシックバレエは子供の頃からの憧れ。
「なかなかうまくならないのが悔しくて、ちょっとうまくなるとすごく励みになるんです。それと、見た目がすごく変わりました。立ち姿もそうですし、座り姿もちょっと猫背気味だったので、改善されまして。やはり、ステージに立ったときに、その場の空気を変えたいんです」
鍛えていてもいまだに苦労する曲がある。
「難しいというより一番苦しいのが、昔も今も『カメレオン・アーミー』です。(歌うときの)腹式呼吸ではできない振りなんですよね。肺で呼吸をして、本当に苦しいんです」
奮闘を見守り続けてきた最愛の夫、桑木知二さんの訃報が、彼女のブログで明かされたのは今年10月。実は闘病の末、8月21日にすい臓がんのため70歳で亡くなっていた。だが、同月24日の横浜のライブでは、誰にも言わず舞台に立った。
「主人との約束もありましたし、スタッフもライブを成功させようと懸命でした。ファンのみなさんだって、ご両親の介護など、それぞれの人生を抱えていらっしゃる。つかの間、少しでも忘れて楽しみたいという思いで来られているわけですから絶対に言えません」
発表までのタイムラグはプロとしての矜持でもあり、夫を愛すればこそだったという。
「ブログは主人の遺影の前で書きました。書き終えたとき、主人の前で読んだんですね、そうしたらなんか、気のせいかもしれませんが、遺影の目の縁が赤く見えたんですよ。じゃあいいんだねこれでって。外を見たら月が出ていて。そういえば入院する前に、『月がきれいだよ』って。そういうこと言うのは、いつもは私だったのですが」