「新しいジュビロの歴史を作る」失言がちな王様小学生がクラブ幹部へ。藤田俊哉の磐田革命
フットボールの世界で一番旬なところに身を寄せたい
――今回は東京で取材をさせていただいていますが、磐田からクルマで移動されたのですか? 「そうですね。家族が東京に住んでいるんですが、ほとんど自家用車で移動しています。去年も4万キロ走りました。磐田までだいたい230キロで、3時間くらいですが、いろんなことを考える時間になるので、その時間が僕にとって必要不可欠な時間なんです。考えを整理したり、やらなくちゃいけないことの順番を決めたり、誰かのことを想ったり。電話で話もできるし。そういうことをするうえで、3時間という時間は貴重なものになっています。 もちろん、リラックスもする時間にもなります。いろんなことを考えたくないときもあるから。でも、渋滞が嫌いなんですよ。だから渋滞を避けて、早朝に出発したり、これは渋滞しそうだなって思ったら、実家のある清水で降りて誰かと会ったり、自由に使っています」 ――運転が好きなんですね。 「そうですね。現役時代から私用で東京へ行くときはクルマでしたから。他人が運転するクルマに乗せてもらうのは好きじゃないので、誰かを乗せることは多いけれど、乗せてもらうことはあまりないですね」 ――多岐にわたる仕事をするうえで、タイムマネジメントで気を付けていることは? 「時間を大切にすること。約束の時間に遅れるのも嫌いだし、やるべきことはさっさと片付けたいタイプですね」 ――藤田さんが加入したジュビロ磐田はJリーグに昇格したばかりでしたが、日本一の強豪クラブになり、全国的には無名だった磐田市の知名度も上がりました。鹿島アントラーズの鹿嶋市もそうですが、サッカーで町おこしができましたね。 「そうですね。ただ、僕らの時代はそういうことをプランニングしてやったわけじゃないんです。ガムシャラに突き進んでいった結果です。でもあれから30年が過ぎ、昔のような手探りの時代は終わったように感じます。 今は、フットボールをわかっている人がより多くクラブに関わっているし、いろいろと計画的に動かせる時代になっている。だからこそ掲げた理想へ向かい、進んでいけると思うんです。でも黄金時代と言われたあのときの高揚感や、町がどう変わったかを知っている人間として、これからはあれよりも上へ行き、あのときを懐かしく思いたい。過去のようになりたいと思っているんじゃなくてね」 ――過去ではなく、未来を創っていくと。 「そうですね。自分が長年居たクラブだし、つながりのある人がたくさんいるし、かつてのようなチームになることを願う人もたくさんいるし、また新しいジュビロを応援してくれる人もいっぱいいるから。そういう人たちとこれから良い歴史を作って行きたいという情熱を持っています」