野茂氏を抜くスピード1000奪三振を記録した阪神・藤川球児の哲学とは?
阪神の藤川球児(36)が30日、ZOZOマリンで行われた交流戦の千葉ロッテ戦でNPB通算1000奪三振を記録した。藤川は15-7の大量リードで迎えた9回にリリーフ登板。先頭の角中勝也をインローの149キロのストレートで見逃しの三振に打ち取り、これが記念すべき1000個目となった。2000年3月31日の対横浜ベイスターズ戦で、3番手として中継ぎ登板した3回裏に谷繁元信氏から空振りの三振を奪って以来、積み上げた。藤川は、777回3分の2でのスピード達成で、1983年8月27日に近鉄時代の野茂英雄氏が作った871回のスピード記録を大幅に更新した。 藤川は、9回に一死から鈴木大地にヒットを許すが、続く井口資仁からも1001個目の三振を見逃しで奪い、最後は、昨年まで同僚だった柴田講平をセンターフライに打ちとってゲームセット。試合終了と同時に1000奪三振記録達成が場内でアナウンスされ、記念の花束を受け取って勝利の儀式に臨んだ。 通算1000三振達成者は、史上146人目。 また阪神では、江夏豊氏が1970年7月2日に史上4位の940回で達成している。 試合後、藤川は淡々とした表情で記録について「なんとも思っていない」と語った。 野茂氏のスピード記録を抜いたことに関しても「(野茂氏は)先発でメジャーでの実績もあるので、全然(僕が)上だとも思っていません。ファンの方々が期待してくださっていたので、それがモチベーションになった」と、ZOZOマリンでもロッテファンを圧倒するほどの声援を送っていたファンへ感謝の意を表した。 金本監督も、「リリーフになってからは(1000三振の)8割くらいを後ろで守った。おめでとう」と、現役時代を共に戦った“戦友”に祝福の言葉を送った。 2013年にメジャー挑戦したが、肘を痛め、トミー・ジョン手術を受けることになった。結局、2015年のシーズン途中にリリースされ、独立リーグの四国アイランドリーグPLUSでプレーするという異色の時間を過ごした後に、2016年から2年契約で阪神に復帰した。 当初、先発で再出発に挑んだが、思うような結果が出ないことから、再びリリーバーに転向。今季は、桑原、高橋、マテオ、ドリスと勝利の方程式が固まっているため、ビハインドの展開や、この日のような点差のついたゲームでの登板を余儀なくされているが、チームの精神支柱的な存在としてブルペンを支えている。 この日も最速は、149キロをマーク。金本監督も、「149キロ出ているんだからね」と、藤川への信頼感を失っていない。