光源氏のモデルの一人・在原業平朝臣の百人一首「ちはやぶる~」の意味や背景とは?|在原業平朝臣の有名な和歌を解説【百人一首入門】
在原業平朝臣(ありわらのなりひらあそん)は、平城(へいぜい)天皇の皇子・阿保親王(あぼしんのう)の子で、『百人一首』16番の作者、中納言行平(ちゅうなごんゆきひら)の異母弟です。六歌仙の一人でもあり、光源氏のモデルともいわれ、また、『伊勢物語』の主人公「昔男」にも擬せられる、平安時代きってのプレイボーイといわれています。 写真はこちらから→光源氏のモデルの一人・在原業平朝臣の百人一首「ちはやぶる~」の意味や背景とは?|在原業平朝臣の有名な和歌を解説【百人一首入門】
在原業平朝臣の百人一首「ちはやぶる~」の全文と現代語訳
ちはやぶる 神代もきかず 竜田川 からくれなゐに 水くくるとは 【現代語訳】 不思議なことの多い神代(かみよ)でも聞いたことがないほどだ。竜田川(たつたがわ)が真っ赤に水をくくり染めにしているとは。 『小倉百人一首』17番、『古今和歌集』294にも収められています。『古今和歌集』の詞書(ことばがき、和歌の前文のこと)には「二条の后の春宮の御息所と申しける時に御屏風に竜田川に紅葉流れたる絵を描けりけるを題にて詠める」とあり、この頃盛んに詠まれていた「屏風歌」です。「屏風歌」とは、屏風に描かれた絵に和歌をつけるもののこと。 この歌は、秋の紅葉で赤く染まった竜田川の景色の素晴らしさを、神代の時代にも例を見ないほどだと表現しています。「ちはやぶる」は、「神」にかかる枕詞です。「からくれなゐ」は、鮮やかな紅色のこと。唐国(からのくに)から渡来したものから、そう呼ばれるようになりました。 また、「水くくる」という表現が秀逸で、紅葉が流れている様子を竜田川が「くくり染め(絞り染め)」にしたという擬人法を用いて見立てています。さらに「とは」は、意味の上では「聞かず」に続き、倒置法を用いています。「水くくる」は、紅葉が水の中を「くぐる」と解する説もあります。
在原業平朝臣が詠んだ有名な和歌は?
業平は多くの秀歌を残していますが、ここでは特に有名な二首を紹介します。 桜 1:世の中に たえて桜の なかりせば 春の心は のどけからまし 【現代語訳】 この世に全く桜の花がなかったとしたら、春の人の心はのどかであるであろうに。 この歌は、『古今和歌集』『伊勢物語』に収められています。惟喬親王のお供として鷹狩りに出かけた際に、桜の下で歌を詠むことになり詠んだ、と『伊勢物語』に記されています。桜の美しさがあるからこそ、春には人々の心が騒がしくなるという、桜への愛情と同時にその存在がもたらす心の動きを詠んでいます。 2:唐衣 着つつなれにし つましあれば はるばる来ぬる 旅をしぞ思ふ 【現代語訳】 唐衣を着ることが慣れるように、慣れ親しんだ妻が都にいるので、はるばるここまで来た旅のつらさを身にしみて思う。 この歌も『古今和歌集』『伊勢物語』に収められています。この歌には以下の詞書があります。 東の方へ友と、友とする人ひとりふたりいざなひていきけり、みかはの国八橋といふ所にいたりけるに、その川のほとりにかきつばたいとおもしろく咲けりけるを見て、木のかげにおりゐて、かきつばたといふ五文字を句のかしらにすゑて旅の心をよまむとてよめる 【現代語訳】 東国へ友としている人を一人二人と連れ立って旅に出た。三河の八橋という所で、八橋を流れる川のほとりで一休みしたときにかきつばたが美しく咲いていたのを見て、かきつばたという5文字を和歌の(5・7・5・7・7の)各句の頭文字に置いて旅情を詠んだ。 この歌の各句の頭文字を取ると、「かきつはた」となっています。これは、折句という和歌の技法です。この他にも「からころも」は「き(着)」にかかる枕詞、「からころも きつつ」は「なれ」を導く序詞。 「なれ」は「萎る」(着物を着古した様子)と「慣る」(着慣れた)、「つま」は「妻」と「褄」(着物の裾)、「はるばる」は「遥々」と「張る」(着物を張る)、「き」は「来」と「着」の掛詞となっています。さらに「なれ」「つま」「はる」「き」は「からころも」の縁語です。 わずか十七音の中に、これだけの修辞法や表現技法を取り入れる在原業平朝臣は、この時代を代表する和歌の名手といっても過言ではないでしょう。