「いつも一緒に見てたプロ野球選手になったで」 急成長投手の活躍の裏にあった“壮絶な過去” 父は音信不通 母とは死別 野球の楽しさを教えてくれた“じいじ”も甲子園予選の直前に…【中日・松木平優太投手】
大阪府出身の中日ドラゴンズ・松木平優太投手。プロ4年目の2024年シーズンは、大きく飛躍した年となりました。 1軍の試合に出ることができない“育成選手”としてドラゴンズに入団。崖っぷちの4年目に2軍ウエスタン・リーグで躍動し、去年7月、ついに1軍のマウンドへ。すると、1か月もたたないうちにプロ初勝利を収め、初のお立ち台で思わず涙…。 育成から這い上がった苦労人。その涙の裏には、壮絶な過去がありました。
幼い頃に両親と別れ… 野球を教えてくれた“じいじ”の存在
この年末年始、松木平投手は地元の大阪に帰省し、母校・精華高校で野球部時代の後輩と自主トレを行っていました。 中日ドラゴンズ 松木平優太投手(21): 「あの頃(高校時代)を思い出すというか、ここからプロに行けたんだなと初心を思い出させてくれる」 もう一つ、松木平投手にとって大切な“野球の原点”があります。それは、高校時代に亡くなった祖父・正弘(まさひろ)さんの存在です。 中日ドラゴンズ 松木平優太投手(21): 「野球の原点はおじいちゃんなので、プロ野球選手になってここまでできているのも、おじいちゃんのおかげ」
2003年、インドネシア人の父と日本人の母の元に生まれた松木平投手。2歳の頃、両親が離婚して父とは音信不通に。 1つ上の姉と共に、大阪にある母の実家で暮らし始めますが、小学2年生のときに母・由美(よしみ)さんが、がんを患い亡くなってしまいます。 ここから祖父母が親代わりとなりました。
当時について、地元で看護師をしている姉・ゆにさんに話を聞くと…。 姉・ゆにさん(23): 「じいじとばあばが頑張ってくれてたおかげで、なにも不自由なく、やりたいことを伸び伸びと。おじいちゃんおばあちゃんがおすし屋さんを営んでいたので、いつも和食が多かったね」 中日ドラゴンズ 松木平優太投手(21): 「フグ・カニばっかり出てきて『今日もカニ?』みたいな。今思えばバリがめついやん。なにが『またカニ?』やねん」 支えてくれたおじいちゃんとおばあちゃんのおかげで寂しさは感じなかった幼少期。松木平投手は特におじいちゃんっ子だったといいます。