「いつも一緒に見てたプロ野球選手になったで」 急成長投手の活躍の裏にあった“壮絶な過去” 父は音信不通 母とは死別 野球の楽しさを教えてくれた“じいじ”も甲子園予選の直前に…【中日・松木平優太投手】
そして、母の死から5年。中学から本格的に始めたのが“野球”でした。 中日ドラゴンズ 松木平優太投手(21): 「おじいちゃんもキャッチボールとか、一緒にランニングに付き合ってくれて。一緒にテレビで阪神タイガースの試合を見て、プロ野球選手になりたいなって思い始めて」 おじいちゃんから野球の面白さを教わり、夢中になっていった松木平投手。 しかし、またしても試練が待ち受けていたのです…。
「じいじ、天国で見守っていて」 松木平投手が“野球をする理由”
小学2年生の時に母を亡くし、祖父母に育てられた中日ドラゴンズ・松木平優太投手。再び試練が襲いかかったのは、高校2年生のときでした。 中日ドラゴンズ 松木平優太投手(21): 「交通事故ですね。あの元気だったおじいちゃんが…悔しかった」 祖父・正弘さんが不慮の事故で帰らぬ人となってしまったのです。亡くなったのは、夏の高校野球府予選の2日前でした。 当時を知る、高校の担任であり野球部監督だった蔭山(かげやま)さんによると、松木平投手は、グラウンドでは一切苦しんでいる様子は見せず、直後の大会にも出場し、普段と変わらない姿だったといいます。
しかし、姉・ゆにさんの目には、こう映っていました。 姉・ゆにさん(23): 「自分がしっかりしないと、おばあちゃんを支えないとって。結構おばあちゃんのこと気にかけたり、気丈に振る舞ってた」 中日ドラゴンズ 松木平優太投手(21): 「ばれたくないというのがありましたね。いつもと変わらず頑張って明るく、一人の時はちょっと落ち込んで『マジでどうしたらいいの?』『なんでそんなこと起こるの?』『俺なんか悪いことした?』って悩みました」 自分の過去についてカメラの前で気丈に応えていた松木平投手でしたが…当時の記憶がよみがえり、思わず目頭を押さえます。 今でも思い出すと胸が苦しくなる高校時代。そんな過去を抱えながら、天国のおじいちゃんと今は施設にいるおばあちゃんに、プロとして活躍している姿を見せたいという一心で、ここまで這い上がってきました。 中日ドラゴンズ 松木平優太投手(21): 「野球ってこんなに楽しいんだぞって教えてくれたのはおじいちゃんなので、恩返しと感謝の気持ちを伝えたいです」