「世界のたくさんのニュースを伝えたい」渡米する女性アナウンサーの挑戦
東日本大震災で感じた無力さ
当然佐々木さんも取材に行きたいと上司に志願したが、当時はまだ入社1年目。彼女に求められたのは、被災地での取材ではなく、普段と変わらずに山形のスタジオからニュースを伝えることだった。佐々木さんは自身の無力さを感じながらも、自身の役目を果たしていった。 佐々木さんは、その後の休みを利用して被災地を歩いた。報道の人間としてはなくボランティアの一員として、限られた時間ではあったが、そこで何が起きたのかを知るために、自分だからこそできることがあると信じて何度も足を運んだ。
東京で「どうしたら伝わるのか」を考える日々
山形での3年半を経て、アナウンサーとしても、また報道人としても成長するために東京に出てきた。TBSでの仕事はスタジオでニュースを読むことであって、現場に行くことではなかったが、その代わり、国内外の多くのジャンルのニュースを伝えることができた。「ニュースを読むこと」に専念する仕事だった分、「どうしたら視聴者に伝わる」のか、なおさら自身の人間力を試されているような気がした。 株式市場のこと、アメリカの大統領選挙のこと、中東情勢…日本だけではなく海外のニュース原稿もたくさん読むことになった。どれだけ自分がそのニュースを理解しているかで、読み方は変わってくる。わかりやすく伝えるためにはどんなことも勉強することが求められた。まだ外が真っ暗な時間に起きたり、真夜中にニュースを読んだり、24時間止まらない報道センターでの毎日は、あっという間に2年8か月が過ぎていた。
世界のニュースを伝えるため、アメリカへ
アナウンサーとしてのキャリアが7年目になった今年5月末、ニュースバードを卒業することになった。7月にはアメリカでの生活が控えている。中国語は話せるが、その分英語には自信がない。まだ現地で報道の仕事が決まったわけではないが、いつかはアメリカのテレビ局や新聞社で記者やリポーターとして働くのが現在の夢だ。 ニュースバードのキャスターになって海外のニュースを初めて伝えたことで、「世界にはこんなにも多くのニュースがあるのか」と、自分の視野がググッと広がっているのを感じたという。海外について知り、現地で学ぶことで、もっと説得力のあるアナウンサーになりたいと思うようになったというのが渡米の理由だ。 渡米を決意させる苦い経験もした。世界的R&BシンガーのNE-YOさんへのインタビューだ。ニュースバードで、独占インタビューをしたが、自分の英語が全く通じず通訳に頼りっきりだった。英語で自分の考えを伝えられないことで、多くの取材の機会を失うのではと感じたという。