<リオ五輪>吉田沙保里はなぜ負けたのか? 父不在で克服できなかった重圧
2012年から世界を連覇し続けている吉田は、勝利のパターンを熟知したベテランのはずだった。ところが、決勝戦の吉田は、まるでルーキーのような戸惑いを見せながら試合を続けていた。なぜ、そんなことになったのか。いくつか原因が考えられるが、そのひとつが、昨年12月の全日本選手権以来、吉田がまったく試合をしていないことだ。ロンドン五輪でも、北京五輪でも五輪本番の約3~5ヶ月前に一度は試合をしてきた。ところが、今回は約8ヶ月もの長いブランクが空いている。休まず世界で戦い続けた吉田にとって最長の空白期間だった。この空白が、吉田の試合勘を鈍らせはしなかったのか。 世界の頂点に立ち、追われ続ける立場になって以来、吉田は常に敗戦の恐怖と戦ってきた。その恐怖は、世界連覇の数が増えるたびに増していった。北京五輪前は、3月に初めて外国人選手に負けた体験をした。国際大会に父の故・栄勝さんが強くすすめてアジア選手権に出場した。 4年前のロンドン五輪前は、東京で行われたワールドカップ(国別対抗団体戦)でロシア選手に敗れ、五輪の試合直前には、初めて不安で眠れぬ経験をした。そのときも、父の栄勝さんが「小さい頃からやってきたことをすれば、大丈夫」と語りかけ、マットの上に送り出してくれた。 しかし今回は、2014年3月に栄勝さんが急逝したため、レスリングのうえで常に羅針盤役を果たしてくれた父が不在のまま過ごしていた。“緊張するのが嫌だから。1月の馨や2月の登坂みたいに負けると、もっと怖いから”との理由で、8か月のブランクを作ってしまったのである。 そして、いつもなら、試合直前に襲われる恐怖を軽減してくれていた父がいないため、想像以上のプレッシャーがかかった。吉田が、栄チームリーダーを通じて、遅れてリオ入りした母幸代さんを選手村に呼んだのは、試合の2日前だった。4連覇の期待と責任に押し潰され、歴戦のファイターのメンタルは、もうギリギリの状態だった。母や兄、スタッフが支えてくれたが、初めて父不在で迎えた五輪は、吉田をファイターとして孤独に追い込み苦しめた。