<リオ五輪>吉田沙保里はなぜ負けたのか? 父不在で克服できなかった重圧
吉田自身は決してそれを理由にしないだろうが、日本選手団の主将を悩んだ末に引き受けたことも敗因につながったのかもしれない。主将や旗手を引き受けるとメダルをとれないというジンクスがあると言われてきたが、それはジンクスなどではなく、公式行事などが大会直前に増えることで、コンディション作りの妨げにはなっていないかったか。7月20日頃に吉田は股関節を痛めたが、そのオーバーホールも不十分なまま試合を迎えた。直前の会見でも「ときどき腰と股関節が痛くなるけれど、そこはうまくつきあっている」と答えている。 女子レスリングが初めて五輪種目になった2004年アテネで金メダリストとなったあと、2006年に中国で行われた世界選手権で、初めて霊長類最強の男といわれたアレクサンドル・カレリンに会った。1988年ソウル、1992年バルセロナ、1996年アトランタと五輪を3連覇、世界選手権で9連覇をして、4連覇を狙った2000年シドニーの決勝で敗れ、引退したロシアの無敵レスラーである。 吉田はそのとき、「私もあなたみたいに五輪3連覇したいんです」と伝えたことがあった。すると、カレリンは、「それはすごい。3連覇と言わず、4連覇でも5連覇でもしたほうがいい」と答え、言われた吉田は「ムリムリムリ!」と明るく応じた。 それから10年、4連覇を狙ったカレリンの最後の試合と同じように、吉田は五輪の決勝で敗れた。世界連覇数がカレリンを超えたとき「カレリンのような人間は出てこないと思っていたからね。それを自分の娘がやるんだから、すごいと思います」と珍しく手放しでほめてくれた父は、五輪連覇が「3」で途切れた娘に、なんと言うだろうか。 「ご苦労さん、ここまでよくやったと言ってくれると思います。ただ、最後に負けて終わったから、そこは怒られるかもしれません。お父さんに、4つめの金メダルをあげたかった」 4連覇を成し遂げられなかった吉田は、今後、2020年東京五輪へ向けて現役を続けるのか。今後については「まだわからない」という吉田だが、かつて父・栄勝さんは、「王貞治さんもパッと辞めたでしょ。出るたびに三振ばかりになっていたら王貞治の名前は残ってないと思う。だから、いいときに辞めて欲しい」と引き際について語っていた。リベンジにこだわり2020年東京五輪を目指すのか。それとも、カレリンのように、五輪3連覇の数字を残して伝説になるのか。その去就がはっきりするまでには、まだ時間がかかりそうだ。 (文責・横森綾/フリーライター)