物理法則を超えて家父長制と戦う?ジャンル横断映画『ポライト・ソサエティ』主演俳優に聞く
「自分のインナーチャイルドを癒すような経験」。本作が描く家父長制への態度とは
──アジア系の映画のストーリーでは、娘はしばしば支配的な母親から「礼儀正しさ」が求められ、いい子であることのプレッシャーに悩まされる姿が映し出されます。リアやリーナもまた保守的で伝統を重んじる両親から医師になるよう説かれ、上流社会の息子との結婚を勧められ、怒りをあらわにすることをたしなめられます。礼儀を重視する社会に立ち向かう、リアの怒りをどのように感じましたか。 プリヤ:私は子どものころ、とてもお人好しでした。ルールを破って、怒られることが大嫌いでした。なので、リアのように怒られることを気にせず、ただ自分のやりたいことをやる人物を演じることは、自分のインナーチャイルドを癒してくれるような経験でした。リアを演じたことで、そういった経験ができたこともラッキーだったと思います。 文化的な文脈に関しては、たしかに私たちのコミュニティには未だに家父長的な価値観が残っています。ほかの多くのコミュニティも同様に、家父長的な価値観が残っていると知っています。この映画は、私たちが自分たちの伝統や故郷を愛することだけではなく、まだ多くの問題が根深く残っていることをバランスよく指摘していると思います。リアは反抗的な子どもで、そういった家父長制の問題に対して、どう感じているのかはっきりわかります。それを描くことも重要なことでした。 ──映画は、南アジア系のコミュニティにおける「toxic aunty」について触れていますね。サリムの母ラヒーラは息子のために完璧な結婚相手を求め、リーナに妻としての多くの期待を寄せています。若者たちに結婚や出産への圧力など、ジェンダーロールの期待と基準を課す「toxic aunties」はどのように感じられますか。 プリヤ:おっしゃる通り、「toxic aunties」は存在しています(笑)。私は自分の家族や親戚が大好きですが、「toxic aunties」から小言を言われた経験があります。ただ、年齢を重ねるにつれて、なぜ彼女たちがそのようなことを言うのか理解できるようになって、そのおかげで、思いやりを持つことができるようになりました。 でも、おばちゃんたちを喜ばせるために生きるべきじゃない。彼女たちが何を言おうと、すべてを完璧にする必要はありません。やりたい道を進むべきで、自分のために人生を生きたほうがいいと信じています。 ──リアはジェイン・オースティンみたいに金持ちの男のためにすべてを捨てちゃダメだと、姉を批判します。『高慢と偏見』(1813年)のような一見裕福で優しいジェントルマン、あるいは女性が男性に選ばれなくてはいけないという旧来的な結婚文化を風刺していますが、リアの主張をどのように感じましたか。 プリヤ:(姉に)何が起こっているのかを風刺的に表現したセリフだと思います。リアは歯に衣着せず率直に伝える人物で、自分の人生は自分で決めるものだと信じている。また姉もフェミニストだとわかっているので、そんな姉を怒らせるのに一番簡単な方法が、ジェイン・オースティンの小説と比較して批判することだったわけです(笑)。 なので、リアからの家父長的な価値観や結婚の考え方に対する批判的なコメントであると同時に、姉妹がお互いのことをどれだけ知っていて、どんな点で似ていて、どうやって理解し合っているかも示していると思います。姉妹の関係や近さを見せることも重要なことでした。