「土俵の上でなら死んでも本望」 ピラニアと呼ばれた名大関「旭国」の根性【追悼】
大相撲で名大関と称された旭国は「ピラニア」の異名を取った。一度食らいついたら離れないしぶとさにファンは沸いたのだ。 【写真をみる】身長が基準に満たず新弟子検査に4回も落ちたという「大関旭国」の全身ショット
「ピラニア」らしい名勝負
その持ち味が存分に発揮されたのが、1978年春場所の7日目。大関の旭国は前頭4枚目の魁傑と対戦。魁傑は大関から陥落していたとはいえ強豪だ。 両者は土俵中央でがっぷり胸を合わせたまま、4分26秒で水入り。同じ体勢で再開されるが、お互い譲らない。3分24秒で2度目の水入り。10分後に取り直しとなって、2分32秒、魁傑のすくい投げに旭国は倒れた。この熱闘のためNHKの中継は20分以上も延長された。 NHKのアナウンサーとして長年にわたり大相撲中継に携わってきた杉山邦博さんは振り返る。 「まさにこの場に私はいました。両者の疲労が伝わってくる。でも、絶対あきらめない。敗れたとはいえ、ピラニアと呼ばれた旭国らしいしつこさが表れていました。倒れた旭国は力を出し切っていてすぐに起きられず、魁傑が手を差し伸べました。観客から惜しみない拍手が送られ、座布団が舞っていました。記録的であり、記憶にも残る、そして清々しい名勝負でした」
大関・貴ノ花と良きライバルに
47年、北海道上川郡愛別町生まれ。本名は太田武雄。身長が基準に満たず新弟子検査に4回も落ちた。頭を殴ってもらい、こぶを作って合格したというが、実際のところはお目こぼし。身長は公称174センチだ。 立浪部屋から63年名古屋場所で初土俵を踏む。69年名古屋場所で新入幕。後に横綱となる三重ノ海や後の大関・貴ノ花と年が近く、若き日から良きライバルであり、勝負を離れると部屋を越えて親しかった。旭国は技や相手を徹底的に研究したことで「相撲博士」と呼ばれたが、そこには二人の影響が大きい。 「体格をカバーするため、跳んだり逃げたりするようなけれん味に走らなかった。正直で正攻法の相撲でした。瞬発力で相手へ低く飛び込んでいく。懐に入ってしまえば粘り強さと闘争心で負けなかった」(杉山さん)