きくち体操創始者・菊池和子 90歳:体はこんなに希望に満ちてできている
姿勢が正しければ臓器もきちんと働く
「私たちはもとをただせば、たった一つの受精卵」と菊池は言う。「そこから複雑な仕組みの体が出来上がった、奇跡的な存在なんです。私たちの体は宇宙でたった一つしかない。だから生を終えるまで、自分の体を慈しみ、どこか滞っているところがあったら意識を向けて丁寧に動かす。それがきくち体操の目指すところです」 単に体を伸ばすストレッチとか、単に筋肉を鍛えるのとは違う。体の仕組みを理解し、脳で使いたい骨や筋肉を意識して動かし、体の弱っているところを自分の力で治していく。身体というミクロコスモス(小宇宙)を想像しながら、その隅々まで意識をゆき渡らせることが、きくち体操の目指すことなのではないか。体操と聞いて抱いた思い込みが、雲散霧消していく。 きくち体操のインストラクターであり、菊池和子の長女である太田伸子が人間の体の中身が描かれたレオタードを着て、姿勢によって臓器の位置がどう変化するかを実演で示してくれた。 椅子に座りっぱなしで仕事漬けの現代人。背骨が曲がり前かがみになって内臓が押しつぶされ悲鳴を上げている様子にドキッとする。体の中身を意識しつつ背筋を伸ばすと、圧迫から解放される。 内臓宇宙も脳としっかり連携させていくことで、私たちの体はこんなにも変わることができるのだ。
きくち体操の原点
1934年秋田県仙北郡(現・大仙市)に生まれた菊池は、2歳の時、いろりに落とした布を拾おうとして右手に大やけどを負った。くっついていた指を一本ずつ切り離してもらったが、後遺症に随分悩まされた。爪の黒さが取れず、「気持ち悪い」と同級生から言われもした。 終戦の翌年進学した高等女学校は卓球の強豪校で、憧れて選手となったが、ラケットをうまく握れない。家のかもいにピンポン玉をぶら下げては、ラケットで当てる練習を何時間も続けた。自分の脳と、指の1本1本の感覚を意識してつなげたこの時の体験が、きくち体操の原点になっているという。 その後、日本女子体育短期大学を卒業し中学校の体育の教師になるも、学校体育に違和感を覚えるようになった。体を育てるのが体育なのに、上手にやったりきれいにやったりすることが優先されていたからだ。そして結婚、出産を機に退職。 住んでいた団地の奥さん仲間から、たまたま「体操、教えてくれない?」と話が持ち上がり、団地の集会所で始めることになった。今から55年ほど前、昭和40年代半ばのこと。主婦が体操するなんて考えられない時代だったので、カーテンを締め切って、ひっそりとやっていた。 当時から人体図を示しながら、この動きがなぜ必要なのかを説明すると、みんなに気持ち悪いとか怖いとか言われたそうだ。しかし菊池の体操が健康維持には効果的だと評判になり、横浜市の教育委員会の依頼で市民向けの体操教室を開催するようになった。1980年代に入った頃、体操の名前が必要だということで、きくち体操と名付けたという。