ただ一途に金儲け 名誉欲を超越した三大億万長者 南俊二(上)
■南俊二(みなみ・しゅんじ、1882~1961年)の横顔
明治15(1882)年、大阪府出身。夜の車引きなどで学資を稼ぎ、大阪高商(大阪市立大)を卒業すると、香港に渡る。大阪・香港間の貿易が図に当たり、巨利を占める。同42(1909)年、神戸で南商店を開業する一方、大日本製糖株を買うが、株価暴落で巨損を被る。東京に出て深川佐賀町でコメのブローカーを旗揚げして浮沈を繰り返すが、大正9(1920)年、第1次世界大戦後のパニック(恐慌)で元の木阿弥。大正14(1925)年、相模鉄道社長に就任するが、ほどなくして譲り、朝鮮の砂金採掘で大当たりし、樺太、北海道で石炭や漁業に従事。昭和9(1934)年、大阪造船所を立ち上げ、軍需インフレに乗って資産を増やし、終戦後は復興景気で一段と儲けを膨らました。それで資源株を中心に買いまくって巨万の富をつかみ、昭和26(1951)年度の全国長者番付では4位にランクされる。昭和36(1961)年没。