ただ一途に金儲け 名誉欲を超越した三大億万長者 南俊二(上)
戦後日本の「三大億万長者」の一人と称された南俊二。浮き沈みが激しく、事業で儲けては相場で損する前半生でしたが、第2次世界大戦の後はそれまでの軍需インフレや復興景気の波に乗って大儲け。相模鉄道の社長を経て、大阪造船所を創設するなど、実業界にも足跡を残しました。稼いだ巨富を惜しげもなく新規事業につぎ込む南の事業哲学は「無から有を生じること」。指折りの金持ちになった後も、お手伝いさんもいない至って質素な生活を送っていたといいます。 市場のグローバル化やテクノロジーの進化で、先行きの見通せない現代の経済界に、伝えるべき過去の経済人の足跡を紹介する新連載「野心の経済人」。市場経済研究所の鍋島高明さんが解説します。 今回は3回連載「南俊二」編の第1回です。
億万長者と称された“シブチン社長”
南俊二が昭和36(1961)年12月、79歳で亡くなったとき、週刊誌は「シブチン社長の遺産120億円」などと書き立てた。現在の貨幣価値なら1000億円を超すだろう。南は菊池寛実(ひろみ)、大谷米太郎(よねたろう)とともに第2次世界大戦後の「三大億万長者」と称されたが、独特の蓄財哲学の持ち主としても有名だった。風呂桶のふたを全部取って入浴している子供や孫にこう言って諭した。 「ふたは首だけ出る隙間があればよい。お湯が冷めてもったいない。1枚とったらあとのふたは全部閉めて入りなさい」 孫が慶応義塾大学に入学したとき、「砲丸投げ部に入りなさい」と言って砲丸を10個買い与えた話はよく知られている。その理由が振るっているではないか。 「これを毎日暇があったら投げなさい。いい運動になるし、これから鉄の値段は上がる一方です。お前が卒業するときはこれを売って背広を買いなさい」 南が引っ越しの際、ちょうど日曜日で会社の工員たちが手伝いに来た。お金がうなるほどある南家のことだから、どんなにお礼が出るだろうかと、工員たちは楽しみにしていたところ、「諸君、ありがとう。風呂敷を持っているかね、この空き缶を持っていきなさい。今に鉄は値上がりしますよ」 南をよく知るジャーナリストの三鬼陽之助はこう述べている。 「イエス・ノーのはっきりした男。権勢、名誉欲を一切超越した男。およそ無駄、虚飾のない男。ただ一途に金儲けに余念のない男。それでいてある種の事業家哲学を持った男。正直にキッパリ話をする男。言い換えれば『俺は他人のために働くほどの侠気も仏心も持ち合わせない』と、およそ社会のためだとか、国家のためだとか、美徳を並べる連中とは違った男。菊池寛実(高萩炭鉱社長)と並び称せられる戦後最大の億万長者である」 三鬼が初めて会った時の印象について「5尺そこそこの猿面冠者のような面構えは一瞬、小林一三(阪急社長)を想起させた」と語っている。