「あの電話のことは忘れられません」広島カープ・新井貴浩監督が明かす“阪神時代の岡田彰布監督”「自分にとって岡田さんは特別な存在です」
「誰にも言わずに甲子園に来い」
「岡田さんから電話がかかってきたんです。こんな時間になんだろうと思って出たら、大丈夫か? と。大丈夫ですと言ったら、いけるか? と聞かれたんです」 試合に出られるか? 岡田はそう問うていた。北京から戻って以降、新井はバットを振っていなかった。その状況はトレーナーから岡田の耳に入っているはずで、試合に出られる状態でないことは百も承知のはずだった。それでも指揮官は新井を欲した。 「監督に『いけるか? 』と言われたら、選手は『いけます』しかないんです。そうしたら岡田さんが『よし、誰にも言わずに(午後)5時に甲子園に入って来い。(出場選手)登録しておくから』と。あの電話のことは忘れられません」 甲子園球場は4万3000人の大観衆を飲み込んで膨れ上がっていた。プレーボールの1時間ほど前、新井は人知れず関係者口の門をくぐった。ユニホームに着替えてダグアウトに姿を現した。いないはずの男がいる。チームメイトですら驚いていた。岡田は新井にスイングさせてみることもなく、切り札として待機させた。そして4点をリードされた6回裏1アウト満塁の場面で代打・新井を告げた。その瞬間に見た光景と耳にした音を新井は今も鮮明に覚えているという。
「もう自分も鳥肌が立って…」
「自分がベンチから出て、ネクスト(バッターズ・サークル)に行った瞬間、甲子園がバーっと沸いたんです。打席にいた桧山(進次郎)さんが何事かとバッターボックスを外したぐらいの歓声で、もう自分も鳥肌が立ってアドレナリンが出ていた」 1カ月もゲームから遠ざかり、バットすら振れなかった男がいきなり一軍の打席に立つ。それだけでも常識では考えられないことだったが、新井はその打席でタイムリーヒットを放った。ゲームには敗れたが、新井は監督の言葉が選手にどれほどの力を与えるのかを知った。そして同時に監督という職の責任も知った。最終的に、ライバル巨人に歴史的な逆転優勝を許した岡田はそのシーズン限りで辞任したのだ。 「今から思えば岡田さんは首位にいながらも苦しかったと思うんです。それで何かを変えないといけないと思って自分に電話したのかもしれません。岡田さんに(阪神へ)呼んでもらって、何か貢献したいと思っていたんですけど、怪我をして離脱してしまったことにすごく責任を感じました」 失意のシーズンを終えて数カ月の後、新井は岡田を食事に誘った。そこで頭を下げると「ええよ。そんなん」と笑っていたという。去りゆく背中をただ見送るしかない歯痒さが残った。
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