所持品に“重さ”のシール貼る…河村前市長の後継・広沢名古屋市長も強烈キャラだった「ゲーマーの走り」を自認
2024年11月の選挙で、名古屋市長は河村たかし前市長から15年ぶりに変わり、広沢一郎新市長が誕生しました。前市長の個性の強さから、選挙戦でも「本人により河村さんに注目」と揶揄されることもありましたが、経歴や性格を調べると、チャレンジ精神や変わった癖もあるなど、広沢市長もかなり強い個性を持っています。 【画像で見る】所持品に“重さ”のシール貼る…河村前市長の後継・広沢名古屋市長も強烈キャラだった「ゲーマーの走り」を自認
■高校時代は“部活よりゲーム”に没頭…名古屋市生まれ名古屋育ちの広沢一郎市長
2024年11月24日に投開票された市長選挙で当選を果たし、新たに名古屋の顔となった、広沢一郎市長は、「市民税減税」「名古屋城天守閣の木造復元」「市長給与800万円」など、「河村市政を丸ごと引き継ぐ」と訴え、初当選を果たしました。 広沢市長は1963年(昭和38年)、名古屋市瑞穂区生まれで地元の市立陽明小学校、市立汐路中学校を卒業し、杉原千畝や江戸川乱歩を輩出した地元の名門、県立瑞陵高校に進学しました。 高校生の頃は部活には所属せず、授業が終わるとゲームセンターでインベーダーゲームに熱中していて、広沢市長は「ゲーマーの走りだった」と話しています。 100円でかなり長い時間遊ぶことができたといい、没頭しすぎて腕がしびれて動かなくなるまでやっていたということです。
■大学卒業後は転職や企業も…就職で地元に戻り「ブラザー工業」へ入社
大学は、慶應義塾大学の経済学部です。大学時代には「競技ダンス」に熱中し、全国大会で3位になったこともあると話しています。 大学卒業後は名古屋に戻り、出身の瑞穂区に本社がある企業「ブラザー工業」入社。その後、伊藤忠商事に転職し、1998年(平成10年)と2005年(平成17年)の2度、ITベンチャーの会社を起業しています。 そして政界に進出しました。2011年から愛知県議会議員を1期務め、2014年には衆議院選挙に愛知1区から立候補しましたが、落選。2017年に名古屋市の副市長に就任し、今に至ります。
■持ち物には「重さ」記したシールを…バイクにお菓子作りと趣味は多岐に
広沢市長は妻と娘3人の5人家族で、妻の真理さん(61)とは、大学時代に競技ダンスを通して知り合い、結婚。 真理さんによると、広沢市長は自分の持ち物に「少し変わったこだわり」があります。折りたたみ傘やモバイルバッテリーなどに「重さ」をプリントしたシールを貼っています。 1グラム単位で重さをはかり、シールにして貼っていて、出先で傘を忘れた際、忘れ物係に特徴について「重さを書いたシールが貼ってある」と答えたところ、すぐに見つかったというエピソードもあります。 そしてバイクに、ウインドサーフィンと多趣味で、お菓子づくりもその一つです。作るのは決まってチョコクッキーで、バブル期に一斉を風靡した海外製のクッキー「Famous Amos Cookies」が大のお気に入りといいます。 ハワイにいる創業者に連絡を取り、レシピを教えてもらいに海を渡りました。 真理さんは「ハワイまでいく行動力はすごいと思うが創業者も本当に来るとは思わず、迷惑だったのではないか」と話していました。 性格は、とにかく前向きで失敗を恐れず、常にプラスに考える。娘の相談には熱心にのり、否定せずに「人生は一度きり」と言ってやりたいことができるよう背中を押すタイプだということです。 2024年11月29日放送 (東海テレビ)
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