バズりと炎上のぶつかり合い!?バーガーキング“賛否両論”戦略
〇バズらせる戦略2~ライバルに敬意と挑発 もうひとつ野村が重視するのが広告戦略だ。去年10月、大阪の繁華街・千日前にあった「マクドナルド」が撤退。その跡地にバーガーキングが出店することになった。その新店舗に掲げる広告についての会議が行われていた。 案の一つが「おじゃマするで~」という大阪弁のもの。次の案は「バーガーキングでごめんなさい。」という見出しに「前と違うバーガー屋さんでごめんなさい。本場アメリカのお店でごめんなさい。鉄板焼きじゃなくてごめんなさい。おもちゃがなくてごめんなさい。」と続くもの。 そして実際に掲げたのが「あとは、お任せアレ」だった。 バトンを渡している手が「ドナルド・マクドナルド」をイメージさせる……。 このように、野村は『マクドナルド』を意識して仕掛け続けてきた。 「この業界は『マクドナルド』ありきで回っています。我々は我々の方向を見てもらわないといけないので、そこに対して『私たちもいますよ』というアピールをする」(野村) 2020年、秋葉原店では2軒隣の「マクドナルド」が閉店することになり、「22年間たくさんのハッピーをありがとう。」というポスターを掲げた。一見するとマックに敬意とねぎらいを込めたメッセージが書かれていたが、文面の左を縦読みすると「私たちの勝チ」と読める。このポスターもSNSで大バズりした。 「私たちが出したものに対して、賛成していただける人と反対してくれる人が絶対いる。その人たちが面白おかしく話してくれるほどおそらくストーリーとして成り立っていく。そこにピンを置きます」(野村)
日本撤退、大量閉店…~復活のカギは「王者マック」?
野村は1978年、父の赴任先のドイツ・ハンブルクで生まれた。2002年、上智大学を卒業すると「キリンビール」に入社。提携していた「バドワイザー」のマーケティングを手掛けて成功し、マーケターとしての頭角を現していく。 2017年、「自分の力を外で試したい」と「キリンビール」を退社。いくつかの企業でマーケティングに携わる中、紹介されたのがバーガーキングだった。 「最初に誘われた時に『100店舗規模のファストフードチェーンに興味ありませんか』という声掛けだった。それがバーガーキングだったんですけど、『どこに100店舗もあるの』というぐらい存在感が薄いブランドだなと思った」(野村) 日本のハンバーガーチェーンは1971年、アメリカから「マクドナルド」が上陸。翌年には「モスバーガー」や「ロッテリア」がオープンし、大手3社が市場を固めていく。 そこから遅れること20年、1993年にようやく「バーガーキング」が日本に上陸した。 しかしデフレ真っただ中の2000年、「マクドナルド」が半額キャンペーンでハンバーガーを65円で販売すると、価格競争に巻き込まれたバーガーキングは経営に行き詰まり、進出からわずか8年で日本撤退を余儀なくされた。 2007年に再上陸を果たすも経営は軌道にのらず、2017年には香港の投資ファンドが設立したビーケージャパンホールディングスが事業を引き継ぐこととなった。 「『バーガーキング』をよく知っているという人はいる。行ったことあるか、ないかといえば、ない人が多い。そこのギャップが大きいほど、自分のマーケターとしての仕事がたくさん残っている。チャレンジできるという意味で入社の決め手になりました」(野村) 「バーガーキング」に躍進の可能性があると感じた野村は2019年、マーケティングの責任者として入社した。 その直後、野村はアメリカの本社が展開していた画期的な集客作戦に衝撃を受けた。