カジノ誘致反対 「ハマのドン」藤木氏が会見(全文1)横浜港以外ならどこでもやってくださいよ
港ぐらい間違って世間から見られている世界はない
藤木:ご紹介いただきました藤木です。今日は呼んでいただいて初めてここへ参上しましたけども、本当にいろんな角度でこのクラブのお話は聞いておりますし、また私も直接、間接、いろいろな情報の関係ではご厄介になっていると思いますし、また、今、政治家の名前が2、3出ましたけども、ああいう人たちも、ここにいる皆さんには大変ご厄介になっていると。 単刀直入に言います、申し上げますと、私はこうやって皆さんに呼んでもらって港の話しかできませんから港の話をするんです。大好きなんです。なぜ大好きか。港ぐらい間違って世間から見られてる世界はない。鳩山由紀夫が内閣をつくったのが2009でした。国土交通大臣になった前原さんが私の部屋へ来ました。横浜へ。そのときに彼がちょっと2人きりでお話をしたいと言うんで、1日いたわけですけど、2人きりで話をした。それは何かというと、こういうしぐさをしましたよ。港で働く人と、こういう人とは、藤木さん、どういう関係ですかというね。その質問をする前にもじもじして、なんか聞いても怒りませんかって言うんだ。怒りませんよと。聞いてください。あなたは大臣になったんだから港のことは全部知ってなきゃいけない。本当に怒らないですかと。怒らない。つまり港とやくざとはどういう関係だということを私に、ストレートに聞きたかったんですね。 通訳:すいません、通訳を間にちょっと入れさせてください。
石原裕次郎も私の会社へ来た
藤木:終戦、日本が戦争に負けて、終戦直後、映画館という映画館はもうドアが閉まらないくらいお客が多かった、いっぱいです。なんにも娯楽がなかったから。そのときにまた一番人気のあった映画は何かというと、やくざを描いた映画。それも横浜で映す、横浜の姿。まずそこにいるのは、港湾労働者はいますけども、入れ墨をした人たちがいっぱいいる。麻薬がうろうろ、たくさんある。ピストルはみんな持ってる。もう、ちょっと触ればドンパチやる。それまた映画になると、石原裕次郎なんかも、みんな私の会社へ来て映しましたからね。 私はあるとき、これは考えなきゃいけないなと。三船敏郎も加山雄三も初めての映画はみんな私の会社の庭で撮ってるんです。それで横浜の姿を映すと日本中でもう客が付くんです。だから日活映画はもう港さまさまなんですね。それが驚いたことに1964年、この前の東京オリンピックがあったときに、もう新幹線をつくんなきゃなんない、日本の国はね。それからホテルをつくんなきゃならない。港は埋め立てをどんどんしなきゃならない。人間はいくらいても足らない。 私は横浜にずっといるわけにいかなかった。北海道へも募集に行きました。九州へも行きました。それから、近いところでは横浜に刑務所があります。刑務所に入ってる人も特別の許可を得て港で働きました。それから蔵前へ来て、お相撲さんも来て港で働きました。みんな、今の倉庫だとか、あるいは新幹線の地盤だとか、みんなお相撲さんだとか服役者がやったことなんですよ。そういう、これは時代がやらせたことです。そういうような時代に、横浜はもうあらゆるところが映ったから、もてたんですね、横浜というところは。ただ、私は北海道へ行って、利尻へ行って、じゃあそこまで。すいません。 横浜で働くという人はもうほとんど、10人が10人、もうほとんどの人が横浜へ行きたい、働きたい。で、利尻には村が、4つ、5つ、大きな村があるんですが、そこでみんなを集めてお話しする。じゃあ私行きます、私行きますと、大勢もう、お見事でした。皆さん来てくれた。今でも利尻行くと、もう横浜で暮らして、横浜で結婚して、横浜で子供を産んで、それで今、利尻へ親が年取ったから帰ってきたなんて人がいるんですよ。さて。 司会:お願いします。通訳入れてください。