【広島好き】カープの「ミスター先発」野村祐輔が引退。10月5日、連続先発211試合目がラスト登板
レギュラーシーズンも大詰め。この時期になると、選手の去就に関するニュースが出始めています。27日には野村祐輔が、今季限りでの現役引退を発表しました。
新井貴浩監督はレギュラーシーズン最終戦の登板を公言し、試合後には引退セレモニーが行われることが決まっています。リーグ3連覇の中心選手がまた1人、ユニフォームを脱ぐことになるわけですが、今回はプロ13年間でNPB記録も打ち立てた技巧派右腕の野球人生を振り返ってみましょう。
野村祐輔の名前が最初に脚光を浴びたのは広陵高校時代。小林誠司(巨人)とバッテリーを組み、3年春のセンバツでエースとしてベスト8進出に貢献し、迎えた夏の甲子園でした。準決勝で春夏連覇のかかった常葉学園菊川高校に勝利して迎えた決勝戦、相手は「がばい旋風」を巻き起こした公立高校の佐賀北高校。
7回を終了して4-0とリードし、広陵高校として初となる夏の甲子園優勝が目前に迫った8回、2本の安打と2つの四球で1点を返された後、逆転満塁本塁打を打たれて惜しくも準優勝に終わりました。
この試合では、押し出し四球の打席での審判の判定に対して、広陵高校の中井哲之監督が批判の発言をして、高野連から厳重注意を受ける出来事もあるなど、記憶に残る一戦となりました。
高校卒業後、進学した明治大学では1年秋に東京六大学リーグ史上5人目となるシーズン防御率0.00を記録して、最優秀防御率のタイトルを獲得するなど、エースとして活躍。4年秋には同史上7人目の通算30勝、300奪三振を達成しました。
東海大学の菅野智之(巨人)、東洋大学の藤岡貴裕(元千葉ロッテなど)とともに「大学ビッグ3」と呼ばれた2011年ドラフトでは1巡目指名でカープに入団。
ルーキーイヤーから一軍で先発ローテーションの一角を担い、27試合に登板して、9勝11敗と負け越しましたが、セ・リーグでは1966年の堀内恒夫(巨人)以来となる新人として防御率1点台(1.98)をマークして、平成生まれ初となる新人王に輝きました。