驚きの石破首相「アジア版NATO」構想、実現の可能性を戦後アメリカ外交史から読み解いてみると?
日本は憲法9条第2項において「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない」と規定している。もちろん自衛隊は存在するが、アメリカに軍事力を頼り、日本側は在日米軍基地を提供してきた。日米安保条約の存在が日本の防衛力の根幹である。このような体制は「9条=安保体制」とも呼ばれている。 石破氏の提言するようなアジア版NATOを成立させるためには、まず憲法9条の改正が必要になるだろう。何らかの形で自衛隊を憲法の中に位置づける必要が出てくる。 当然、フルスペックの集団的自衛権も必要になる。日米同盟という二国間(bilateral)の条約を中心とした安全保障体制から、アジア版NATOという多国間(multilateral)の条約への変更を主張する石破氏の構想は、戦後日本の防衛体制を根底から覆す可能性があるのだ。 ■ アメリカにとって韓国防衛の重要性は二次的なもの そもそも、戦後のアメリカはなぜ、日本や韓国など各国との同盟関係を個別で結び、アメリカを中心として回る車輪のような「ハブ・アンド・スポーク体制」を構築したのだろうか。 議論の大前提として、現在のアジアにおける安全保障体制が作られた歴史を確認しておく必要があるだろう(『アメリカがつくる国際秩序』[滝田賢治編、ミネルヴァ書房、2014年]を参照)。 第二次世界大戦後の日本は、アメリカを中心とする連合国軍の占領下に置かれた。終戦後から1947年頃までの占領政策は、マッカーサー連合国軍最高司令官を中心に、日本の非武装化、民主化、経済の自由化が進められた。占領初期は理想主義的、社会民主主義的な政策が主流だった。
しかし、中華人民共和国が1949年10月に成立し、中国においては共産党支配が確立した。アメリカにとっては「中国の喪失」であった。大陸中国を中心に考えていたアメリカの政策は崩壊したのである。1950年2月には日本を仮想敵国とする中ソ友好同盟相互援助条約が成立し、1950年6月には朝鮮戦争が勃発する。 日本は「共産主義の防壁」としての重要性が急速に高まり、アメリカは日本を軍事的、経済的に活用することを決定する。日本を経済的に復興させるだけでなく、日本に米軍基地を置き、日本を再軍備し、ソ連や中国に対抗させる。すなわち、日本を「西側陣営」に確保する戦略が取られたのである。この一連の過程は「逆コース」とも呼ばれる。 朝鮮戦争が起こるまで、アメリカの政策決定者の中では、朝鮮半島の位置づけは必ずしも高くなかった。国務長官であるディーン・アチソンが1950年1月の演説で、「不後退防衛線」(いわゆる「アチソン・ライン」)から台湾と朝鮮を暗に除外したのは有名な逸話である。 しかし、朝鮮戦争をきっかけとして、アメリカは、韓国が共産主義陣営の手に落ちれば、日本への直接の脅威となることに気付く。韓国は、日本を防衛するためにこそ重要なのである。 その意味で、アメリカにとって、韓国防衛の重要性はあくまで二次的なものなのだ。この事実は国際政治の研究者にとっては常識だが、一般にはあまり理解されていない。韓国籍の筆者は、この事実を常に念頭に置かなければならないと肝に銘じている。