「放置していたら数年で大腸がんになっていましたよ」と言われ…作家・平野啓一郎が語った実体験を反映させた短編集
――読者にどう読まれたかはやはり気になりますか? ちょっと余談になりますが、毎日新聞で『マチネの終わりに』を連載していたときに、同時にnoteでもWEB掲載していたので、コメント欄の書き込みが日に日に増えてきたんですね。この小説は、ある事情があって別れた男女がもういちど再会するかどうかが重要なポイントなのですが、途中から「二人は再会できるんですよね」「まさか会えずに終わりとかあり得ないですよ」と、書き込みがどんどんヒートアップしてきて、これは面白いと思ったんです。知り合いに彼氏と別れたと恋愛話をされても、「でもまた復縁してほしい」とかふつう言わないし、こんなに感情移入しません。それが小説独特の力なんだと思います。だからこの頃から、小説のラストには読者が自由に想像できる余地をなるべく残すことを心がけるようになりました。 ――それではここで、会場にいらっしゃっている方からの質問をどうぞ。 (参加者1)私自身の問題でもあるのですが、幸福とは何かを考えるときに、私たちは運命論的なものをどのように享受して、周囲に派生するためには何をすれば良いのでしょうか? というのも、今はスマホで簡単に他人の生活水準や暮らしぶりが見えてしまうので、「初めからこれが自分の運命だった」と受け入れるのがなかなか難しい時代なのではないでしょうか。 自分の運命があらかじめ決まっていると思うと人生はつまらなくて、自分で切り拓いていけるんだって思いたいですよね。それはそうなのですが、過去の自分をしみじみと振り返ったときに、なぜあの時にあれができなかったのかと後悔することもあって、それは運命的に仕方なかったんだと考えることを、『マチネの終わりに』で書いたんですね。現実的に、僕たちの人生は自分でコントロールできることと、できないことが微妙な割合で混じっています。だから自分ではどうしようもない困難については自分ひとりで抱え込まないで、NPOや公的支援を受けるとか、なるべく状況をシェアして、なおかつ自分で変えられることは踏ん張るのが大切かと思います。まあ、インスタグラムに華やかな生活をアップしている人も、つらい時もあれば裏で大変な苦労をして何度も撮り直したりしているはずで、こうした想像力もけっこう大事だと思いますね。