パルコ川瀬賢二社長 「一番売れるものばかり選んでしまうと金太郎飴になっていく」
FASHIONSNAPの新春恒例企画「トップに聞く 2024」。第11回は、パルコの川瀬賢二社長。12年ぶりの社長交代でトップに就任した同氏にとっては“社長1年目”となった2023年度はインバウンド回復も追い風となり、都心の店舗では好業績を見込むという。一方で地方店舗では閉店が相次いでいる。新社長の目にはパルコは今どう映っているのか。 【画像】“推し活”の対象になっているシルバニアファミリー
■川瀬賢二 1970年生まれ、愛知出身。1992年にパルコに入社し、店舗勤務や人事部、経営企画室、事業戦略室を経て、社長室長としてグループ経営計画、資本政策を担当した。2012年にパルコ・シティ(現 パルコデジタルマーケティング)代表取締役社長、2019年にパルコ執行役をそれぞれ歴任。2023年3月から現職。現在54歳。
12年ぶりの社長交代で伝えたこと
―パルコとしては12年ぶりの社長交代となった2023年。どんな一年になりましたか? 私はパルコに30年以上在籍してるのですが、そのうち15年ほどしかパルコで仕事をしていなくて。しかも社長就任直前の1年間はJ. フロントリテイリングに出向していたので、まずは「川瀬ってどういう人だろう」というのを知っていただくことに注力した一年でしたね。 ―具体的にどんな活動を? 3月に就任してから最初の幹部集会にはじまり、全国の店舗にも少なくとも3度は足を運びました。本部の社員向けにはウェブ会議を通じてメッセージを発信したほか、ランチミーティングを15回実施しました。 パルコはヴィジョンに「刺激・デザイン・クリエイト」を、パーパスに「感性で世界を切りさく」という言葉を掲げていますが、このことが腹落ちしていない社員もいたので、セゾングループだったところから振り返りながら、パルコがどういう存在だったのかということを伝えてきました。 社長就任の際には、社員の皆さんにはパルコという事業会社を通じて「会社と社会との関係」「J. フロント リテイリンググループとパルコの関係」「経営者とスタッフの皆さんとの関係」という3つのメッセージを出しました。2040年の未来を想像して、その時にパルコという会社や施設が提供できる価値とは何なのか、当事者としてパルコをどう変えていきたいのか、考えてみてほしいと。このメッセージはこれからもおそらくずっと言い続けるでしょう。 ―その活動を通じて、あらためてパルコはどんな会社だと感じましたか? 面白い会社ですよね。みんなが「そうだよね」と思うような“ど真ん中”の正解を導き出すためにパルコに入社した人は、そんなにいないと思うんですよ。いつも社会に対してオルタナティブな存在であって、面白いことをみんなが考えている。パルコはそういう会社だよと伝えていますし、僕はそんな皆さんの自己肯定感や自己実現もお手伝いしたいと考えています。 ―セゾングループ時代のことを知っている社員も少ないのでは。 そうだと思います。パルコという会社の背骨には、セゾングループだった頃のパルコ文化が脈々と流れていて、それを変える必要はないと思いますが、時代の変化とともに進化はしなければいけません。 例えば、パルコは若い人に向けた「ファッションの流行の最先端」というイメージがありますが、この文脈自体をまずは疑ってかからなきゃいけないという風に思います。当時は人口が増えていて、18~22歳の人口が1割いたんです。男女雇用機会均等法が施行された背景もあって、街中に出ていく服やバッグが必要になってくる。世の中の変化もあって、「東京で今流行っているもの」が確実にあった時代にはそういうものをお届けするのが我々の存在意義でもあったけれども、今は情報の非対称性もなくなってきて、流行の先端を追いかけるよりも、自分の好きなものを極めたいというモチベーションの方が強く、男性か女性か、20代か30代かといったボーダーも非常に希薄になってきているので、僕らも先輩たちから受け継いだものの中でも進化させるべき要素として、若者のファッションや流行に対する固定概念を払拭する必要があります。 ―変わらない、変えないものもある? パルコはセゾングループの中でもエモーショナルな会社だったと思います。自分で感じたことを問題として設定し、解決法も自分の力で編み出していく。これはパルコにとって変えない部分、というより変えられない部分である気がします(笑)。エモーショナルな仕事がパルコのいいところ。それは今後も期待をしてるところです。