ファッション界の椅子取りゲームが過熱。デザイナーに求められる素養とは
他のクリエイティブ ディレクターの人事も、まだ足場が固まりきっていない。ショーン・マクギアーの「アレキサンダー・マックイーン」でのデビューコレクションは、彼がメゾンで働き始めてたった2カ月という準備期間の中で開催され、「ジバンシィ」と「ランバン」についてもクリエイティブ ディレクターの席は空いたままだ。
デザイナーたちを取り巻くこの不条理な状況が頂点に達したのは、ヴァルター・キアッポーニが2月にミラノでたった1回のショーを行った後に「ブルマリン」を去ることになったときだった。最高レベルの創造性を証明するために1シーズン(多くの場合は数か月) をかけて取り組み、それがたった1回の10分間のファッションショーで評価され、その後舞台裏での相違が表面化するや、即刻辞任か解雇されることを想像してみてほしい。
長年ファッションを観察してきた私は、新しいクリエイティブ ディレクターの任命に関するうわさが騒がれる度に強い不安を感じてしまう。どれくらいの期間が与えられるのか? 彼らはどれくらいそこに居たいのだろう? 成功を測定するための指標は何か? 売上高? ソーシャルメディアでの反応? あるいは業界の承認? そもそも、これらは互いに一致するものなのだろうか?
カール・ラガーフェルドが「シャネル」で行ったように、クリエイティブ ディレクターがブランドで永続的に指揮を執る時代はとうの昔に過ぎ去った。コレクションや製品の数が増加した結果として、クリエイティブ ディレクターは今日、一般的におおよそ5年サイクルのメゾンでの勤務期間を与えられる。クリエイティブ ディレクターは今や、デザイナーであり、マーケターであり、スポークスパーソンであり、総合的な利益を生み出すマジシャンでなければならない。さらに、多くのブランドの運命は企業のボスや投資家の意向に左右される。確かに変化と新しさを前提とするのがファッションだが、これらの変化に満ちた瞬間に巻き込まれたデザイナーやブランドの既存のレガシーに対する代償はどのようなものだろうか?