『ボーはおそれている』に隠された意図とは?鬼才アリ・アスターの頭のなかを探る
アリ・アスターはなぜ「家族」を「恐怖の対象」として描き続けるのか
本作の基になったのは、アスターが2011年に発表した約6分の短編映画『Beau(原題)』だ。あわててアパートの部屋を出ようとしたボーがデンタルフロスを取りに戻っているあいだに、玄関の鍵穴に挿しておいたキーが抜き取られ、住民には「お前は終わりだ!」と罵られ、事態を打開すべく電話をかけるもまともに取り合ってもらえない――。『ボーはおそれている』の冒頭部は、ほとんどそのまま短編時代の再現である。 ここからアイデアを膨らませ、アスターが長編映画である本作の脚本を書いたのは『ヘレディタリー/継承』よりも数年前のこと。当初は監督デビュー作にするつもりだったというから、この映画にアリ・アスターという作家の「最も濃い部分」が詰まっているのは必然だろう。 最大のテーマは「家族」で、彼は短編時代から家族という共同体の暗い一面を描き続けてきた。代々受け継がれる負の遺産、親子ならではの息苦しい関係、許しがたい部分を許さねばならない理不尽。『ボーはおそれている』の母親・モナは、息子を目一杯愛しながら育てたが、その愛情が見返りを求めるものであったため、ボーは人生を通じて母に縛りつけられてきた。劇中ではモナとその母親(ボーの祖母)の関係がこじれていたことも語られるが、母親を中心として3世代にわたる歪みが発生しているのは『ヘレディタリー/継承』も同じだ。 アスターが描く家族には複数の共通点がある。親が子どもを(子どもが親を)肉体的・精神的に支配していること、家族間で殺人が起こること、なぜか妹がいつも命を落とすこと(『ヘレディタリー/継承』では妹が事故死し、『ミッドサマー』では妹が両親を道連れにして無理心中した。『ボーはおそれている』では、ボーを亡き息子のようにかわいがるロジャー&グレイス夫婦の娘・トニがペンキを飲んで自殺してしまう)。そしてもうひとつ真に恐ろしいものは、いつも家の屋根裏に隠されているということだ。 なぜ妹は死ななければいけないのか、なぜ恐怖の象徴は屋根裏にいなければならないのか? こうした共通点に秘められた真実は明かされておらず、アスターは作品と自身の個人的経験を必要以上に関連づけることを好まないという。しかし2023年12月の来日時、「監督にとって家族とはどういう存在?」と問われた際、彼が「煩わしいもの、終わりのない義務」と答えたことは押さえておきたい。家族や家が恐怖の対象となることには、きっと特別な理由があるはずなのだ。