国立市「マンション解体」は当然の結果です! 街の「景観」「アイデンティティー」をいまだに軽視する“からっぽ”日本人の思考回路
景観保護と住民の対立
積水ハウスは6月8日、東京都の多摩地域中部に位置する国立市で建設を進めていたマンションを、完成直前に取り壊すことを決めたと発表した「富士山の眺望」に影響が出るというのがその理由で、大きな関心を集めている。 【画像】愛すべきド田舎! これが100年前の「国立駅」です(計18枚) 地元の景観が守られたことは喜ばしい。しかし、なぜかインターネット上では、これに反対する、次のような意見を多く目にする。 「法律に従って建てられたものが、地元住民の圧力に押されて取り壊されることになるとしたら、それは実に大きな問題だ」 「こんな地味な街並みから富士山を眺めることに何の価値があるのだろう」 「富士見通りは、富士山が見えるのは道の先だけだし、建物は古い低層の商店ばかりで、街並みは決してきれいではない」 「騒がしい住民も多く、面倒な地域だ」 本稿は、国立市における景観保護の歴史、過去の訴訟、そして今回の事件の背景を見ながら、これからの景観まちづくりのあり方について考えてみたい。なぜ景観を守ることが重要なのか――。
景観条例と住民対策
問題の発端は、積水ハウスが国立市の富士見通り沿いに建設を計画した10階建て総戸数18戸のマンション「グランドメゾン国立富士見通り」だ。計画当初から地元住民からは、 ・富士山の眺望 ・近隣住宅の日照 に影響が出るとの懸念の声が上がっていた。 2021~2022年には、まちづくり審議会や近隣住民らと事業者側が話し合う調整会も開催。住民側は 「4階建てとしてほしい」 「建築面積及び延べ床面積を現計画の半分程度に抑えることを要望する」 などと主張。これに対し、積水ハウスは階数を11階から10階に変更したが、「事業性の圧迫につながる」と意見が対立し、合意に至らなかった。(『朝日新聞』2024年6月8日付朝刊)。 しかし、マンションが完成し、購入者に引き渡されようとしたとき、積水ハウスは突然、周辺地域への影響への配慮が十分に検討されていなかったとして、計画を白紙に戻し、建物を取り壊すことを決定した。その理由は、 「建物が富士山の眺望に与える影響を再認識した。景観に著しい影響があるといわざるを得ず、眺望を優先するという判断に至った」 とされている。 国立市は、一橋大学(旧東京商科大学)の誘致とともに、ドイツの大学町をモデルにしたきめ細かな都市計画のもとで発展してきた。ゆえに、地域の景観を守ることの重要性は、以前から市民の間で強く意識されていた。以下、街の変遷と人口の移り変わりである(くにたち中央図書館作成の参考資料より)。 ●変遷 明治22(1889)年:谷保村、青柳村、石田村が合併し、谷保村となる 明治27(1894)年:神奈川県から東京府へ移管 大正15(1926)年:4月国立駅開業 昭和2 (1927)年:東京商科大学(今の一橋大学)神田より移転 昭和26(1951)年:町制施行され、国立町と改称 昭和27(1952)年:文教地区指定 昭和29(1954)年:境界変更府中市の一部 昭和31(1956)年:境界変更国分寺市の一部 昭和42(1967)年:市制施行 ●人口の移り変わり(「国立市史下巻」より) 明治24(1891)年:2473人(365世帯) 大正9 (1920)年:2611人(472世帯) 大正15(1926)年:2899人(472世帯) 昭和20(1945)年:7462人(1319世帯) 昭和26(1951)年:1万4903人(3449世帯) 昭和47(1967)年:5万2523人(1万4450世帯) 令和6 (2024)年:7万6138人(3万9730世帯)※5月1日時点 1997(平成9)年に制定された「国立市都市景観形成条例」には、「街並み調和地区」の指定や建築物の高さ・形態の規制など、先駆的な内容が盛り込まれ、全国的にも注目されている。