松尾潔・兵庫県知事めぐる報道に「人が亡くなっている重みを考えるべき」
■周囲の声を聞かなかった斎藤知事 そんな中でもポイントになっているのは人事局が『公益通報の調査結果が出るまで、懲戒処分を待つべきではないか』と進言した際、知事が「調査結果を待たずに元幹部を処分できないか」と打診してきたと職員が証言したことです。 拙速に過ぎるというか、後ろめたいことがある人の行動のように思えてなりません。斎藤知事本人もある程度「自分がそういうことをやった」という自覚があるんじゃないかと思います。 「複数の弁護士に意見を聞くべきじゃないか」というようなことを複数の県幹部が5月の綱紀委員会で言ったらしいですが、それもことごとく知事は「問題ない」と断っていたそうです。 ■任期の途中でも声をあげることはできる こういうことが明らかになっているのに加え、次々に出てきた「おねだり体質」。メディアによっては揶揄するような言い方もしていますが、これだけ報じられているので、実際そういうこともあったんだろうなと思わざるを得ません。 なんでこんな人が選ばれたんだろう、というところまでどうしても考えてしまいます。もっとも、選挙から数年経つと、「あのときの選挙で、何で選んじゃったんだろう?」というのは国政も含め色んなところである話です。 こんな時に「次の選挙ではそういう人を選ばないようにするしかない」と言う人がいますが、僕は首長の振る舞いや政治手腕に対して疑問を持った場合、次まで待たずに声を上げるべきだと思います。任期の途中であっても処遇に対して民意を突き付けることができるわけですから。 仮に斎藤知事に票を投じた人であっても「あのときの自分は間違っていた」と素直に認めてリコールするのもいいと思います。選んでしまったということの過ちを認めることは有権者も、ある種の胸の痛みが生まれるかもしれませんが、人間が人間であることのリスク、あるいは集団で生活を営むうえでのリスクと思うしかないんじゃないかと思います。今、斎藤知事は1期目ですが、「任期までは」という意図があからさまに出ていますね。