なぜ男子100mで波乱が起きたのか…初V多田と3位山縣が内定…2位デーデー、敗れた桐生とサニブラウンの五輪出場はどうなる?
オリンピックの舞台で2度も準決勝に進出している山縣でさえも、今大会はかつてないほどの緊迫感を味わっていた。 「平常心」を心がけたものの、「やっぱり緊張しましたね。気持ちが空回りして、硬い走りになってしまった」と振り返る。 「自分のコースに集中したつもりだったんですけど、中盤くらいで多田選手が見えたので、追いつこうと思って力んでしまいました」と山縣。今季は布勢スプリントでも多田と一緒に走っているが、そのときのように終盤での逆転はできなかった。多田の後半が強かったというよりも、山縣が自滅したかたちに近い。 4位の小池も本領を発揮することができなかった。調子自体は非常に良かったというが、「全体的に力を抜いても推進力が出せるかなと思っていたんですけど、力を抜いた分、加速度が落ちてしまった。それで後半巻き返すようなレースになってしまいました」と前半に流れを作ることができなかったことを悔やんでいた。 桐生は5月下旬に痛めた右アキレス腱の影響が大きかったと思う。本人は「脚の痛みについてはお答えできない」と故障を言い訳にするつもりはないが、右アキレス腱を痛めてから走り込みができていなかった。予選、準決勝のレースは上々だったが、3本目の決勝まで体力が持たなかった印象だ。加えて、隣のレーンに多田がいたこともメンタル面で影響した。前半でリードを奪われるかたちになり、本来の走りができなかったからだ。 「両サイドが山縣さんと多田だったので、前半は(2人に)リードされるレースプランを考えていたんですけど、うまくいかなかったことが結果に表れていると思います。悔しいというのは変ですが、東京五輪の開催が決まってから約8年。東京を目指してきたので、これでひと区切りかな、と……」 桐生は日本人で初めて9秒台に突入しただけに、目指してきた東京五輪の男子100m代表を逃したショックは計り知れない。
サニブラウンは五輪参加標準記録突破者のなかで最下位に沈んだ。準決勝は着順で通過できず、決勝も振るわなかった。 「予選の動きは悪くなくて、準決勝はふくらはぎをつったアクシデントがあったんですけど、決勝は身体もいい感じで挑めたんです。でも、いざレースが始まってみると、疲労がたまっていたのか、最後の30mは身体が動かなかった」 サニブラウンは新型コロナウイルスの影響もあり、2019年秋のドーハ世界選手権を最後にレースには出場せず、活動拠点の米国でトレーニングを重ねてきた。今季は約1年8カ月ぶりのレースとなった5月末の競技会で100mを1本走ったのみ。実戦不足が影響したようだ。 「疲労という言い方はどうかと思うんですけど、約2年ぶりとなるハイペースのレースに身体が慣れていなかったですね。もう少し試合に出ていた方が経験値的に良かった。自分の準備不足かなと思います」 100mは“最速”を決める種目だが、日本選手権は蒸し暑さのなか、2日間で3本のレースをこなさなければならない。五輪トライアルというとてつもない重圧も加わり、例年以上の“消耗戦”になっていた。桐生とサニブラウンはスタミナ面で苦戦したといえるだろう。 優勝した多田でさえも、「前日の疲労が気になり、不安要素もあったので、一番良かった走りは準決勝かなと思います」と話していたほど。選手たちは“見えない敵”とも戦っていたのだ。 100mは4×100mリレーメンバーを決める「最重要選考競技会」を兼ねている。200m代表選手の顔ぶれにもよるが、100m2位のデーデーと同5位の桐生はリレーメンバーとして代表入りする可能性が高い。 一方、サニブラウンは200mでも五輪参加標準記録を突破しているため、日本選手権で「3位以内」に入れば日本代表が内定する。その場合はサニブラウンにも4×100mリレーの出場チャンスがめぐってくる。9秒台の4人(山縣、サニブラウン、桐生、小池)に日本選手権王者の多田、それから急上昇中のデーデー。史上最強チームが完成する。 そして100mで東京五輪を決めた2人は同じ目標を口にしている。 25歳の誕生日翌日に地元・大阪で初の日本一に輝いた多田は「東京五輪では日本人初のファイナリストになりたいなと思います」と笑顔を見せると、日本の男子100mでは初となる3大会連続五輪を決めた山縣も「東京五輪は自己ベストを出して決勝に進出したいです」と言い切った。 男子100mの「ファイナル進出」と同4×100mリレーの「金メダル」。日本陸上界の大きな野望が今夏、本当に実現するかもしれない。 (文責・酒井政人/スポーツライター)